容疑者の人柄についても少しずつ報道されてきている。成人してからの人間関係がこの人にはほとんどないのか……と思うほどに、友人や知人の声が出てこない。中学や高校時代の知人たちの印象は、勉強がよくでき、真面目で、女子から嫌われるようなタイプでもなく、高校は県内有数の進学校に通うほど優秀だったというものだ。有数の進学校に通うほどの人が、大学を卒業することなく自衛隊に入隊した背景と、母親の宗教には何か関係があったのだろうか。非正規の職を転々としながら、3万円台の家賃のマンションで武器をつくり続けてきた40代の男性が歩んできた過去は、見えていた未来はどのようなものだったろう。
驚くのは犯罪史に名を残したいとか、英雄になりたいとか、大きなことをしてやろうとか……そういう粋がった空気が、報道から伝わらないことだ。いまだに彼のSNSは明らかにならないが、もしかしたらやっていなかったのではないかと思われるほど、存在感を示したいという顕示欲が見えない。政治への怒りや、自民党政権に対する抗議という強い思いも伝わってこない。この人は、安倍さんの人生を終わらせたかった以上に、自分の人生を終わらせたかったのではないか。
政治家を背後から撃つなど、政治信条への思いを持つ者以外の犯行は考えられなかったが、そうではなく、ひたすら傷つき壊れた者が個人的な理由で暗殺を計画し、自分の人生を終わらせた……それが今の日本の現実であることに、言葉を失う思いになる。社会から排除され傷ついた男たちが引き起こす多大な犠牲を、私たちはいくつも痛みとともに味わってきた。
いったい山上容疑者と秋葉原で多くの人々を殺傷した加藤智大死刑囚の違いは何だろう。小学校に侵入し幼い子たちを殺した宅間守元死刑囚(2004年に死刑執行)との違いは何だろう。「幸せそうな女性が憎い」と小田急線内で女性ら数人に突然牛刀を向けた男との違いは何だろう。私たちはこれまで、何人もの男たちが、傷ついた自分の人生を終わらせるために人々を殺す事件を見てきた。この事件を「民主主義の崩壊」といって批判する声は大きいが、この事件の本質はそこではなく、むしろ、政治に怒りや希望を感じるようなことすらできないほどに、政治とも社会とも、そこが紡ぐはずの未来や希望からも、この人は切り離されていたということなのではないだろうか。私には、“あの男たち”の顔が同じに見える。