映像では最後の瞬間、安倍さんは容疑者のほうを向いていた。安倍さんは最期、何を目にしたのだろう、何が心によぎったのだろう。この20年近く、どんな発言をしても、様々な疑惑が浮かびあがっても、最強の力で「守られ」続けてきた立場にあった方だった。その方が、背後がスカスカの、あまりにも無残な警備の中で、しっかり守られることなく一人で倒れていくことなど、いったい誰が想像できただろう。

 2022年7月8日を、私たちはきっと生涯、忘れることができないだろう。

 安倍さんの死亡が報道されるのとほぼ同時刻に、伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之氏を訴えていた裁判で最高裁の結論が出た。山口氏を相手にした長い裁判がこれで終わった。2017年、詩織さんがこの問題を訴えたとき、安倍さんは総理の席にいて、そして総理に近しいジャーナリストが訴えられたことと、逮捕直前に逃れたことは関連づけて報道されてきた。安倍さんが亡くなった日に、裁判が終わったことはもちろん偶然ではある。それでもこの偶然は、安倍さんの時代に私たちが味わってきたもの、見てきたものを凝縮して思い出させるものになった。とても長い安倍政権だった。その間にメディアが萎縮していく姿を、本当のことが分からなくなっていく様を、たくさんの人が絶望していく姿を私たちは見てきた。

 安倍さんの死を悼みたいと思う。後に残された者の痛みを思うと胸が詰まる。死が安らかなものであることを祈りたい。それでもこの事件を「民主主義への攻撃」として語るだけではなく、「民主主義のためにも」、私たちは政治家としての安倍さんが何を語り、何をしてきたのか、何を隠し、何を私たちに残したのかを、率直に語り続けなければならないだろう。そして、誰よりも守られてきた要人が、誰にも守られてこなかっただろう男に、政治信条に対してではなく、その個人的な痛みによって背後から撃たれたという事実を私たちは記憶し続けていかなければいけない。それこそが、私は安倍さんの本当の供養になるのだと思う。参議院選挙が終わった。これからが民主主義の正念場だ。

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