プロ5年目の09年、「お前は巨人の将来を引っ張っていく男だ」と原辰徳監督から背番号17を貰った東野は、負けん気を前面に出した投球で8勝を挙げ、見事期待に応える。
翌10年も、内海とともに先発の柱となり、前半戦だけで11勝(2敗)。前田健太(広島)と最多勝争いを繰り広げるなど、この時期に限定すれば、堂々たるエースだった。
8月以降は1勝6敗と失速したものの、10月7日の広島戦で前田と先発対決した東野は「いつも以上に気合が入った」と8回を無失点に抑え、2カ月ぶりの13勝目。3位でのCS進出を確定させた。
翌11年には自身初の開幕投手で白星を挙げ、前年以上の活躍が期待されたが、好不調の波が激しく、8勝11敗と負け越し。ここから歯車が狂いはじめる。
12年は登板1試合に終わり、オフに2対2のトレードでオリックスへ。その後も復活のきっかけをつかめず、15年のDeNAを最後に29歳で引退。当時の東野は、結果を出せなくなった理由を「がむしゃらさが出なかった。完全に天狗になっていました」と振り返っている。
開幕投手も務めたプライドが、捕手のミット目がけてがむしゃらに投げていたころのひたむきな気持ちを取り戻す妨げになり、現役晩年は首痛の影響で力を発揮できなかった。
常勝を義務づけられたチームで、長年にわたって結果を出しつづけることの難しさを痛感させられる。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。