批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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ポン・ジュノ監督の映画「パラサイト 半地下の家族」が話題を集めている。仏カンヌ映画祭でパルムドールを受賞、米アカデミー賞でも非英語圏映画で初めての作品賞を含む4冠を達成し、世界が沸いている。日本でも観客動員数が100万人を突破したという。
日本では同作は是枝裕和監督の「万引き家族」と比較されている。二作はともに格差をテーマにし、貧困に苦しむ家族が主人公である。パルムドールを連続受賞し、監督同士も交流がある。比較は当然だが、実際に鑑賞すると対照的な印象を受ける。
「万引き家族」では主人公の家族は社会に負けて、最後解散してしまう。「パラサイト」の展開は異なる。ネタバレにならないかぎりで記せば、同作でも主人公の家族は社会に負けはするが、強烈な反撃を加えるし、最後まで家族も解散しない。そもそも「万引き家族」の家族は擬似家族で血縁がなくつながりも曖昧だが、「パラサイト」の家族は強い血の絆を一瞬も疑っていない。そしてその絆こそが最後に観客にかすかな希望を与える構造になっている。ひとことでいえば、「万引き家族」は暗く、「パラサイト」は明るいのである。
この違いはなにを意味するのだろうか。作風の違いといえばそれまでだが、日韓における格差社会の質的な違いを示すもののようにも見えた。
日本では貧困は孤独と深く関係している。ひとは家族も友人も失うからこそ貧困に陥る。是枝監督はその現実を鋭く切り取ったがゆえに評価された。「万引き家族」が児童虐待のエピソードから始まるのは象徴的である。他方でポン監督の関心は異なる。彼が焦点をあてるのは階級格差である。それは経済的には是枝監督が描く格差よりもはるかに激しい。けれども貧困層もけっして家族や友人の絆を失っていない。ポン監督は孤独は描いていないのだ。
映画は社会学のレポートではない。「パラサイト」がどこまで韓国社会の実態を反映しているのかはわからない。「万引き家族」もこの作品もともに傑作であり、感銘を受けた。それだけに両者の差異には深く考え込んでしまったのである。
※AERA 2020年2月24日号