38年ぶりに来日したローマ教皇は、核兵器の保有を「テロだ」と断罪した。教皇が被爆国である日本で発したメッセージは、私たち日本人に向けたものでもある。ローマ教皇の訪問に沸く長崎を取材した、AERA 2019年12月9日号の記事を紹介する。
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大粒の雨と雷鳴。時に稲妻が走った午前中とうって変わり、みるみる青空が広がっていく。
午後2時。晩秋の低く強い日ざしが、ミサの会場となった長崎県営野球場「ビッグN」全体を照らしだす頃、ローマ教皇フランシスコが高い「台座」のついた専用車「パパモービレ」に乗って現れた。
スタンドとグラウンドを使ったアリーナ席に集った信徒は3万人。歓声が上がり、日の丸の小旗が打ち振られた。教皇がゆっくりと1周する。差し出された幼子の額にキスをした瞬間、人気アーティストのライブのような悲鳴が上がった。宗教界のスーパースター。そう形容したくなるフランシスコ教皇の存在感と人気を見せつけた。
長崎はその日、早朝から街の空気が違っていた。ローマ教皇を迎える高揚感と言えばいいだろうか。カトリックの信徒ではない市民も無関心ではいられなかった。
約450年前、長崎港がポルトガル船によって開かれ、貿易とカトリックの布教が町の発展の基礎を築いた歴史は、市民の間にカトリックへの近しさを意識下で涵養している。加えて被爆地と核兵器廃絶に高い関心を持つフランシスコが同じ被爆地、広島に先んじて訪れることも、カトリックと長崎の深いつながりを意識させるものだった。
教皇は何を語るのか。長崎市松山町の爆心地公園では大雨の中、被爆者や関係者1千人が静かに「その人」の到着を待った。
「硬い表情でゆっくり歩いてこられ、長く祈られました。それを見て被爆者の思いをわかっていらっしゃるのだと感じました」
爆心地で教皇を間近に見た40代の女性はそう話す。
「教皇様は核兵器を作ることも倫理に反していると考えており、場合によっては踏み込んだ発言もするかもしれない」
教皇を補佐する前田万葉枢機卿は、来日に際しそう話していたが、メッセージは予想以上に、いまの国際情勢の危うさに言及したものとなった。