批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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毎年4月、東京・新宿御苑では総理主催で「桜を見る会」が開催されるのが恒例になっていた。その次回が中止となった。経費の急増が問題となり、批判が広がっていたのだ。
桜を見る会は、本来は各界の功労者のために行われる慰労会である。それが安倍政権下で質を変え、いつのまにか、政府関係者が知人を招き税金でタダ酒を振る舞う得体の知れない会に変貌を遂げていた。報道される実態は腐敗の一言だ。私物化との批判は免れないし、中止は当然といえる。
それにしても、今回印象に残ったのは政権の判断の速さである。共産党の田村智子議員が参院で問いただしたのは11月8日、それからわずか5日で中止を決めた。
この問題は本来根が深い。招待客には首相の後援会関係者が多く含まれ、公職選挙法違反の可能性が指摘されている。内閣府は招待名簿を破棄したと答弁し、調査を事実上拒否した。ここには2018年の財務省公文書改竄問題に連なる政権の本質が表れており、野党も追及を強める予定だった。しかし中止が決まった以上、世論は沈静化するだろう。
安倍政権はこういうところがじつにうまい。同じことは2週間ほどまえにもあった。政権は11月1日に、英語民間試験の導入見送りを決定している。そちらは萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言からわずか8日後のことだった。こちらも本来なら導入決定に至る不透明な経緯こそ問題とされるべきだったが、見送り発表で人々の関心は一気に離れた。
この対応はSNSでの「炎上対策」を思わせる。SNSで議論は成立しない。不用意な投稿で炎上が起きたら、反論などせず元投稿を速やかに削除するのが鉄則である。SNSのユーザーは忘れっぽいので、投稿が消えれば反発も収まる。安倍政権は同じ原理で政治を運営しているかのようだ。だから野党=アンチと議論などしない。
本来なら政治とSNSは異なる。野党がアンチ扱いされ、問題が次々になかったことにされてはたまったものではない。にもかかわらずその等値が通用してしまっているところに、この国の政治の悲劇がある。
※AERA 2019年11月25日号