2005年7月、インドネシア・バンダアチェ郊外の小学校を訪れ、児童や教師に囲まれた緒方貞子さん (c)朝日新聞社
2005年7月、インドネシア・バンダアチェ郊外の小学校を訪れ、児童や教師に囲まれた緒方貞子さん (c)朝日新聞社
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 国連難民高等弁務官として活躍した緒方貞子さんが亡くなった。享年92。外相などにも推されたが、それらの肩書には収まらないスケールのリーダーだった。AERA 2019年11月11日号に掲載された記事を紹介する。

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「外務省の仕事っていうのは、細かくきちっとあげないと成り立たない。冒険ダン吉の世界じゃない。私には向いてないということは知っていましたよ」

 冷戦終結まもない1991年から10年間、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんを退任後、日本の外相にしようという機運が何度かあった。冒頭の言葉は、生前の2016年、私とのロングインタビューでそのことに触れたときの答えだ。

 曽祖父の犬養毅首相、母方の祖父芳沢謙吉はともに外相経験者で、父も外交官。彼女にとって外相は遠い世界ではない。ではなぜ受けなかったのか。そこにはリーダー論をめぐる彼女なりの考えがあった。

 混乱する世界で難民保護のため飛び回った緒方さんが直面したのは、役所の積み上げ方式では解決できない問題ばかりだった。就任直後のクルド難民危機で、従来は国際支援の対象外だった国内避難民も「難民」として支援の対象にしたのは有名だ。

「今までの尺度じゃあ対応できない。状況に押し出されたと。それで決められなかったら落第。そういう任務についたからには、(新たな判断を)考えなければならないと思ったんだろうと思います」

 退任後、日本の総理特別代表としてかかわったアフガニスタン復興支援でも同じ。「そんなこと(積み上げ方式)じゃ解決できないんですよ」

 当時の取材メモを改めて読み返してみると、「向いていない」は、単なる謙遜ではない。国連機関のトップとして「積み上げる」以上の仕事を成し遂げてきた緒方さんなりの自負がにじみ出ているように感じる。

 高等弁務官在任中の緒方さんが組織運営で気をつけていたことがある。それは「絶対に信用していい部下を選び、ちゃんと使うこと」。国連を含む官僚組織では、都合の悪い情報が上がってこないことがある。正式な報告の前に、現場に精通した直属の部下から、ブリーフを受けていたという。その一人が現在の高等弁務官フィリッポ・グランディ氏だ。紛争の現場にトップ自ら足を運ぶ「現場主義」も、信頼できる部下からの情報を踏まえた上での判断があった。

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