批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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去る10月27日、米トランプ大統領が、特殊部隊をシリアに派遣し、テロ組織「イスラム国」(IS)の指導者バグダディを殺害したと発表した。大統領と軍幹部は、殺害場面の中継をホワイトハウス地下で「まるで映画のように」見守っていたらしい。大統領は映像の一部公開を画策中だという。
この報道は、かつて交わされた「ニンテンドー・ウォー」の議論を思い起こさせた。1991年の湾岸戦争では、バグダッド空爆の模様が生中継され、戦争がゲームのように消費されたと批判が起きた。それから30年近くが経ち、人々はいまや、現実の戦争が虚構と同じ媒体で表現されることにすっかり慣れてしまっている。誘導弾による精密爆撃の模様が、作戦後公開されるのも日常となった。
けれども今回の事件で、その「戦争の娯楽映像化」も新しい局面に入るかもしれない。バグダディは「泣きながら逃げ回り」最後は自爆したという。兵士のウェアラブル端末が捉えた姿だろうが、今後その記録が一部でも公開されるとすれば衝撃は大きい。大統領はいま、負傷した軍用犬を顕彰するなど、作戦成功を利用した大衆迎合に必死である。刺激的な映像が公開される可能性は十分にある。私たちはこの傾向をどこまで許容すべきだろうか。
皮肉なのは、そのような「戦争の娯楽映像化」が、ISにとってもまた重要な戦略だったことである。ISは映像の利用に長けていた。捕虜を残酷に処刑し、その様子をハリウッド映画さながらの高画質で撮影し、BGMをつけて世界中にばらまいていた。大半の人々は眉を顰(ひそ)めたが、少なからぬ若者がその刺激に惹かれ、明確な政治信条がないにもかかわらず義勇兵になり一匹狼型のテロリストになった。ISの急伸の背景には、そのような「テロの娯楽化」があり、それは戦争の娯楽映像化と不可分の関係にある。
ISはそもそも、カリフ制復活を宣言し中東全体の征服を目的に掲げるなど、どこまでが本気かわからないような異形の組織である。けれども多数の悲劇を生み出した。現実の奇襲作戦を映画に喩(たと)え、人間の死を嬉々として語る米大統領は、その鏡像のようにも見える。
※AERA 2019年11月11日号