「バブル景気」を享受した50代の人々から、その時代の就職で身につけた知識や専門性を生かした「社会貢献」の道を進む人も現れている。人生の折り返し点を迎えた彼ら中にどのような変化が起きたのか。朝日新聞編集委員・秋山訓子氏が迫る。AERA 2019年11月4日号に掲載された記事を紹介する。
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津田順子(つだじゅんこ)さん(57)は、50代になって社会に目が向いた。大学時代に打ち込んだ英語を武器に、外資系の企業のマーケティングや広報部門を渡り歩いた。バブルを実感した機会はそれほど多くない。12年から勤めた日本GEで東日本大震災の復興支援の担当になる。これが社会貢献との出合いだ。
14年、更年期障害などで体調を崩したこともあり、「1回リセットしようと思って」退職、1年を上限と決めてオフ期間を取った。頭に浮かんだのが、東北の復興支援に取り組む人々だ。
「多くの人がNPOで情熱を注いで問題に立ち向かっていた。こういう生き方もあるんだ」
いったんNPOに就職し、あれこれ学べてやりがいもあったが、収入は企業時代の半分以下に。そんな時、米国の財団が主催する、日本人女性向けの1カ月間のリーダーシッププログラムに参加した。米国のNPOを回り、「人生が変わる体験でした。多くのNPOが活躍して、収入だって悪くない。日本にもこういう状況を作りたい」。
現在は日米間の交流を支援する米日カウンシル‐ジャパンの事務局長を務めながら、今年、NPOの女性リーダーを支援する団体「ポテンシア」を立ち上げた。
最後に登場する鈴木栄(すずきさかえ)さん(52)は、80~90年代は主に米国におり、バブルを経験していない。だが、「50代になったら社会貢献」を若い頃から明確に意識していた。
中3の時、牧師だった父が米国で働きたいと家族と共に移住し、米国で教育を受ける。化学を専攻していた大学院時代にふと学内の掲示板にあったボランティアに参加した。失職中の家族が一時的に住むシェアハウスで、食材を持っていきみんなで調理して食べる。