■常識はずれの新型電池
吉野は、オックスフォード大学のジョン・グッドイナフと東大から留学中だった水島公一(現・東芝研究開発センターエグゼクティブフェロー)らによる、正極にコバルト酸リチウムを使った80年の電池開発に思い当たった。「この酸化物を正極にすればリチウムが供給できる」。目論見は見事に当たり、83年、新型電池が作れた。通常は負極から供給していたリチウムイオンを正極から供給するという「常識はずれ」であった。
吉野の「開発欲」はさらに深かった。ポリアセチレンは軽いが体積が大きく「小型化」に向かなかった。こだわった材料をさっさと捨て、より良い性能を持つ材料を求めた。85年、特定の結晶構造を持つ新炭素材料を発見、起電力4ボルト以上の小型・軽量な充電可能電池ができるとわかった。今のリチウムイオン電池の原型となった。
商品化のためにいくつもの欠点を潰した。安全は第一である。できた電池を重い鉄球で潰しても発火しないことを確かめた。小型ビデオカメラ用電池を探していたソニーが聞きつけ、91年にやっと商品化。当初は売れなかったが、デジタル携帯電話が登場し、インターネット時代になった95年から爆発的に売れた。
開発の芽が出た70年代から四十数年後、リチウムイオン電池はIT機器だけでなく電気自動車にも使われるようになり、21世紀の生活を底で支えている。ウィッティンガム、グッドイナフの業績を生かしてコードレス/ワイヤレスの機器を支える「底力」としての電池を製品としてまとめた吉野の研究開発力は語り伝えられるものだろう。
受賞が決まった後の会見で、吉野は「リチウムイオンの姿はなぞだらけ。新しい技術が出てくる可能性はある」と言い切った。その先が楽しみである。(文中敬称略)
(文/科学ジャーナリスト・内村直之)
※AERA 2019年10月21日号