まずは、これらの大学の入学者選考で、男性が生物学的な理由で優位な場合だ。身長や筋力が選考基準にあればの話だが、私の知る限り、そのような基準を用いている大学はない。そうでなければ、以前から不正があって、いまだに懲りずに続けていると考えるのが自然だ。

 前出の予備校講師の藤井健志氏によると、以前から「男子は直前に伸びる」という言説は受験指導界にあったという。体力や根性の差と言われていたようだ。実際に直前に伸びる男子もいるだろう。だが、これはただの都市伝説で、もしかすると秋頃までの模試の結果では説明できない「成績の悪い男子が受かり、成績の良い女子が落ちた」という医学部の合否の結果を説明づけるための物語に過ぎなかったかもしれない。しかも、その印象を強めるのに医学部の不公正な扱いが一役買っていたとしたらどうだろうか。昨年以降「男子の方が受かりやすいというのはずっと感じていた」と進路指導担当者のトーンが変わってきたという。

「2019年入試面接では、さすがに結婚、妊娠、出産について女子学生に持ち出す例は聞かなかったが、親や兄弟姉妹の学歴、職業などを質問する大学が国公私立を問わずあった」ということだった。家族について尋ねることは受験生本人の人となりを知るのに参考にはなるだろうけれど、学生の資質を判断するのにどれほど重要だというのだろう。去年の問題があった翌年に、この質問を投げかけてしまえることに、試験官の鈍感力を感じる。私は、医学部入試に、まだ「差別」が残っていると感じている。

■医師になって感じたこと

 私は北大を卒業し、東京で研修医をした。私が後輩の男性医師にずけずけと指図していたら(兄弟がいるせいか年齢が近い男性にあれこれ指図をすることに抵抗感は全くない)、男性の指導医から「男にはプライドがあるから言葉遣いに気をつけて」と言われた。それは理解できたが、同時に、「あなたは女性のプライドに対する配慮はしていますか?」と思いながら黙って飲み込んだ。若い女医の名前を「ちゃん」付けで呼ぶなどやや男尊女卑的な傾向があるのは感じていたが、悪気はなく、それが女性蔑視に繋がると気づいていないだけなのだ。それでも仕事上では男女差別などせず熱心に指導してくれて尊敬できる指導医でもあった。この上司は今も同じことを言うのだろうか。

 この頃は「女医」と言われることに抵抗があった。わざわざ区別して呼ぶ必要はない。医師という職業を選んだだけで、性別は関係ないし、もし体力的あるいは知識的な側面で能力不足を指摘されるとしたら、それは女医だからではなくあくまで私個人問題だからだ。同期の男性研修医が「俺、地元に帰ったときに上司が女の人だったらいやだなぁ」となぜか私に言ってきたので、仲はよかったけれど「こいつアホなのかな」と思った。

 それでも、歳をとると人は現状を受け入れるようだ。30代以降は女医という呼称にも肯定的になってきた。患者さん達から「女の先生で安心した」と言ってもらったからかもしれないし、年齢を経て図太くなったからなのかもしれない。幸いにも私が今まで働いてきた数カ所の職場では、上司に恵まれたこともあって「女性だから不利益を被る」ということが比較的少なかった。

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