
(宮内庁提供)

27日、トランプ米大統領と会見する天皇、皇后両陛下。雅子さまが外務省出身ということもあり、今後の皇室外交の発展も期待されている。だが、政治学者の白井聡さんは、AERA増刊「ドキュメント新天皇誕生」の中で、平成の時代には実現されなかった課題も残ると指摘する。令和の天皇像はどうなるのか。
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今回の改元と代替わりは、天皇自身による譲位の決断を示した、2016年のビデオメッセージが始まりでした。これは近代の天皇制の原則を破る異例のものでした。かつ、そこには先の天皇の深刻な危機感が込められていた。令和の時代になった今も、私たちが考えなければならない重要な問題が提起されています。
ビデオメッセージでは、「天皇とは国民統合の象徴だ」と何度も強調されました。国民の統合とは、最低限のある種の共同性だと思います。共に生きていく人間が、助け合い互いを思いやって生きていくのだという心情を持てること。しかし、格差や沖縄の問題など、その統合がズタズタになってしまったのが平成という時代でした。天皇は「それでいいのですか」と国民へ問いかけたのだ、と私は感じます。もし、どれほど社会が分断されようが、自分さえよければ国民統合なんてどうでもいい、と皆が思うのであれば、その象徴である天皇も必要ないことになる。「私たちは今後も必要なのですか?」という、まさに究極の問いかけだと思いますが、いったいどれだけの国民がこれをきちんと受け止めたでしょうか。
このメッセージのもう一つの凄さは、「天皇とはただ存在するだけではだめなんだ」と伝えたことです。象徴天皇制(君主制)と民主主義は、民主主義が成熟すればするほど、その対立的な緊張と矛盾が顕在化する関係にあります。二つが並立する戦後民主主義社会における天皇であればこそ、常に新しい、あるべき天皇像を模索し、実践しなければならない。それを自分はずっとやってきたし、次の代以降の天皇も皆そうしなさいと言っている点です。逆に言えばそれをしない限り、天皇は民主主義社会では要らなくなる、天皇制はなくなる、ということも示唆している。それは永遠の存在でも何でもなく、不断の努力によって支えなければ消えてなくなるのだ、と。