平成の事件史を語るうえで、欠かせないオウム真理教事件。カルト教団を暴走に駆り立てたものとは何だったのか。ジャーナリスト・青木理氏が、かつてオウム真理教の広報担当であり、現在は「ひかりの輪」を主宰する上祐史浩氏に直撃した。
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──オウム裁判では全事件の首謀者が麻原彰晃だったと結論づけられましたね。
「それは間違いないと私も思います。ああいうカルト教団は、教祖がそういう方向だと感じ取ると弟子も争って過激化する。まずは教祖が突っ込み、教祖に認められたいから弟子も先を争うように突っ込んでいくようになる。ある意味で真面目であるがゆえの病理でしょう。そして善と悪が反転する」
──善悪の反転?
「極論すれば、戦争は人を殺すほど英雄になりますね。かつての大日本帝国では特攻隊が英雄視されましたが、現在の国際的な視点では“自爆テロ”でしょう。つまりテロをやった者が英雄視され、やらない者は非国民になってしまう。当時の教団も同じでした。善悪の反転が強化された後になると、やらないことがエゴになってしまう」
──加えて、1989年に実行された坂本堤弁護士一家殺害事件を警察が解決できなかったことは教団をさらに過激化させた面はありませんか。坂本弁護士はオウム被害者の会の設立に携わったうえ、失踪現場の自宅には教団のバッジが残され、実行犯の一人が遺体を埋めた場所を通報していたのですから。
「間違いなくありました。大日本帝国が日清、日露戦争に勝って増長したように、坂本弁護士事件などを運良く切り抜けたことで、自分たちは神の祝福を受けているような感覚になってしまった。偶然が重なると、妄想の土台となる成功体験に変わり、すべては麻原の力かのようになってくるんです」
いうまでもないが、だからといって教団による凶行が免罪されるはずもない。ただ、様々な時代状況や警察の不作為なども折り重なり、絡み合ってカルト教団は暴走した。そうした目で「平成の事件」を改めて眺めると、同じような歪みや臭いがそれぞれの事件に染みついていることにも気づかされる。(文中敬称略)(ジャーナリスト・青木理)
※AERA 2019年4月15日号より抜粋