経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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消費税増税への反対の声が高い。ごもっともだ。何のための増税なのか、どんどん、その意味が判然としなくなっている。
そもそも、安倍政権は本気で消費税を上げなければいけないと考えているのだろうか。決意表明だけで、結局は機熟せずとか何とかいって、またぞろ見送りそうにも思う。もっとも、いまや「教育無償化」等々、安倍首相自身のお気に入りプロジェクトのために、増税による税収のかなりの部分を充当することになっている。だから、今度は何が何でも引き上げ実現に全力投入するつもりかもしれない。万事が何とも怪しげでいけない。
人はなぜ税金を払うのか。国はなぜ税金を取るのか。このコインの表と裏の接着面にあるものは何か。それは無償の愛だ。
人は自分のために税金を払わない。税金を払えない他者のために税金を払う。税金を払えない人にも、税金で賄われている公的サービスを利用する権利がある。その権利が保障されるために、税金を払える人が税金を払う。納税はお買い物ではない。少なくとも自分のためのお買い物ではない。納税行為に1対1の対価を求めるのはおかしい。納税に1対1の受益性はない。
世のため人のために払うもの。それが税金だ。代償を求めず、より良き社会の基盤づくりのためにカネを出す。この無償の愛が、納税倫理というものの基盤を構成する。そのはずである。
この認識が正しいとすれば、徴税側の責任は実に重い。国民の皆様の無償の愛が生み出す資金。それをお預かりするのである。ゆめゆめ、無駄遣いをしてはいけない。決して決して、自分たちの野望や目論見のために私物化してはならない。無償の愛の重みを真正面から受け止める。その重みを片時たりとも忘れない。そのような者たちでなければ税金を上げるの下げるの、何に使うの使わないのという議論を主導することは出来ない。議論に参加する資格さえない。
納税と徴税は、無償の愛という接着剤によって切っても切れない表裏一体の間柄を構成している。どこに行くのも、いつでも一緒。接着剤が上質だから、変なところに行くはずもない。消費増税論議も、このイメージを前提にやってほしい。
※AERA 2019年3月25日号