マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。新刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)
マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。新刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)
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イラスト:大嶋奈都子
イラスト:大嶋奈都子

 お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。

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 ここ数年ずっと思っていることがある。それは芸能界について。

 芸能界に生息して20年以上を過ごしている。そんな人間から見たこの世界は思っていたよりご機嫌なものでもなかった。なんせ生き馬の目を抜く競争社会、ましてや、娯楽は腐るほどある世の中である。生き残りのために皆ぶざまなほど必死だし、ごく少数の圧倒的勝者とその他大勢が、少しでも番付を上げようと、人の失墜を望み、目を黒く輝かせている。すり減る心と身体、奪われる時間、代わりに得る大きい対価。人気のためだったら、痩せたり太ったり、私生活を売ったり、なんだってする。疲れる世界だ。しかしそれも“売れ線”に乗って初めて体験できたことだった。私は私の芸能生活の大半を売れないで過ごしてきた。

 初めて芸能界の売れ筋のルートに乗った時のことはよく覚えている。その感覚を一言で言えば、「芸能界という店の棚にマキタスポーツという品が並んだ」といった感じ。

 本当に大変だったのは並んでから。だってそこは芸事とは違った「好感度」という、まるで株価のような実体のないものが高値で取り引きされていたから。私は芸事には自信はあったが「好感度」を意識したことはなかった。むしろ「嫌感度」を売りにすれば、「逆にあいつはカワイイ」と言ってもらえると浅はかにも皮算用をしていたぐらいだ。

 とにかく、もう二度と「売れない」に戻りたくない。嫌われたくない一心で清潔な格好を心がけ、歯のヤニを取り、散らかりがちな髪を整え、笑いたくもないのに笑ったりした。金も名誉も魅力的だったが、とにかくその「好感度」とやらに取り組んでみることで結果を出したかったし、どうせバレないと思った。が、無理だった。どうも嘘っぽくなってしまう。視聴者と広告代理店は敏感だ。私の欺瞞(ぎまん)を見抜いたのだと思う。効率よく稼げるあの輝かしいCM仕事が一向に入って来なかった。とにかく私の好感度大作戦は失敗に終わったのだ。

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