人は未熟とか未完成の方がドラマを見やすい。なので、ダメで緩いものを見たがるのも「読解」の必要性が低いからじゃないだろうか。ジャズがあまり受けないのは評論に頼って「読解」を強要する風潮があるからじゃないか。

「読解力がない」は、実は「読み飛ばし力」があるということだとも思う。

 世界は文字に溢れている。読まなくちゃいけないものと、読まなくてもいいものがごちゃごちゃしているのだ。だから人は自ずとそれを編集、要点を集約し、視点を絞り、己の都合の良い世界を認識する。そうこうしているうちに、文字に対する不信と、文字に対する盲信が同時に湧き起こってきたのが今だという気がする。飢餓の状態から飽食の時代に移り変わったように、“読み飢餓状態”から「飽読の時代」になったのだろう。

 さて、例のAlex問題である。かの問題は、“間違えさせることが前提の”クイズの類なのであり、文章としては単なる「悪文」である。ということを私は知っている。世間には誤読を誘う悪文が多い。よくわからないまま「同意」ボタンを押すところだった。

「この原稿の文脈において、最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい」

(1)マキタは時代を読める(2)マキタは時代を読めない(3)マキタは単に文章が読めていない

※AERA 2018年11月19日号

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