浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 リーマン・ショックから10年である。あの2008年9月15日、倒産したリーマン社から、私物を段ボールに詰めた昨日までの社員たちが、次から次へと立ち去って行った。

 金融デリバティブ(金融派生商品)という名の実に21世紀的な資産を巡って、実に古典的な恐慌が起こった。なぜか。グローバルな金融資本市場の雲行きが再び何やら怪しげな今、改めて「あの時」を振り返ってみたい。

 ここで思い出すのが、あの「風が吹けば桶屋が儲かる」の教えだ。リーマン・ショックが「桶屋が儲かる」という結果に対応するとすれば、「風が吹けば」に対応する原因は何だったのか。筆者は、それを「ジャパンマネーが吹きこぼれれば」だと見る。

 リーマン・ショックに至る過程では、日本が他の国々に先駆けてゼロ金利政策を導入した。さらには、量的緩和というもう一つの金融未体験ゾーンにも踏み込んだ。目指すところは、大々的なカネ余り状態を作り出すことだった。その余りガネが国内に出回れば、経済が活性化する。だから、デフレから脱却できる。これを狙ってのカネ余り大作戦であった。

 だが、その政策意図に反して、日銀が連綿と繰り出す余剰資金は、国内に出回らなかった。低収益を嫌って、日本の外に出稼ぎに行ってしまった。その受け皿となったのが、リーマン社など米投資銀行が手掛けるデリバティブ商品だったのである。

 デリバティブとは、金融資産のごった煮だ。優良資産も不良資産もごちゃまぜにして、新たな金融資産を「派生」させる。要は闇鍋だ。上手くいけば一攫千金。下手をすれば毒にあたる。

 この闇鍋商法も、日本から溢れ出る余りガネの洪水無かりせば、あそこまで狂乱することはなかっただろう。

 さらにさかのぼろう。そもそも、日本が余りガネ大作戦に打って出たのは、バブル崩壊後のデフレ退治のためだ。そしてバブルがなぜ発生したかといえば、日本がプラザ合意後の円高不況対策で金融大緩和に踏み切ったからである。かくして、どこまで行っても、リーマン・ショックをもたらした「風が吹けば」の部分はメイド・イン・ジャパンなのである。

AERA 2018年9月17日号