大月和真さんと長男の寛也さん。和真さんが優しく声をかけると、寛也さんは笑ってうなずくしぐさを見せる。今回、自分にできることは何でもしようという思いから、取材に応じてくれた(撮影/写真部・小山幸佑)
大月和真さんと長男の寛也さん。和真さんが優しく声をかけると、寛也さんは笑ってうなずくしぐさを見せる。今回、自分にできることは何でもしようという思いから、取材に応じてくれた(撮影/写真部・小山幸佑)
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取り壊し工事が始まった、津久井やまゆり園。事件現場となった居住棟などは今年度中に解体され、管理棟と体育館などは改修される。新しい建物は2021年度中の完成を目指す(撮影/編集部・野村昌二)
取り壊し工事が始まった、津久井やまゆり園。事件現場となった居住棟などは今年度中に解体され、管理棟と体育館などは改修される。新しい建物は2021年度中の完成を目指す(撮影/編集部・野村昌二)

 殺傷事件から間もなく2年。現場は再生に向けて動き出しているが、今も被告の障害者差別は続く。障害者が置かれた状況も、変わっていない。二度と悲劇を起こさないために、国や私たちはどうすべきか。

【写真】取り壊し工事が始まった、津久井やまゆり園

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 19人が殺害され27人が負傷した事件現場は今、白いフェンスに囲まれ建て替えに向けた工事が進む。ここではかつて、入所者たちの笑い声があふれていた。

 2016年7月26日、事件が起きた日、大月寛也(ひろや)さん(37)は、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で暮らしていた。入所者が次々とナイフで刺殺された、「戦後最悪」とされる事件が起きた場所だ。殺人などの罪で逮捕・起訴されたのは、この施設の元職員の植松聖(うえまつさとし)被告(28)だった。

 寛也さんの父親の和真(かずま)さん(68)によれば、自閉症の寛也さんは18歳の時に津久井やまゆり園に入所した。事件が起きた時、寛也さんは被告の襲撃を免れたエリアにいたため無事だった。だが、事件直後、一時帰宅から施設に戻った際は、なかなか居住棟に入ろうとせず、ホーム(生活エリア)に着くまで母親の腕をつかんでいたという。いままで一度もなかったことだ。

「いつもと違う異様な雰囲気を、寛也なりに感じとっていたのだと思います」

 寛也さんは昨年4月から、仮移転した「芹(せり)が谷(や)園舎」(横浜市港南区)に移り、事件前と変わらずマイペースで生活できている。しかし、負傷した利用者の中には、刃物を連想するため爪を切るのを怖がったり、一人でトイレに行けなかったりする人もいると聞き、「精神的な癒えない傷は今も残っているのではないか」と和真さんは言う。

 被告の弱者への差別意識が、なぜ凶悪犯罪へと至ったのか。なぜ無抵抗の人間の命を奪ったのか。ヒトラーが降臨したなどと気取る被告は、報道機関などに送った手紙に「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」などと記している。

 だが、先の和真さんは強く否定する。

「寛也は何を話しかけてもうなずきます。言葉を一言も話さないので、本当は何を考えているのか分からないのですが、でも何となく意思疎通はできています。『ご飯だよ』といえば、テーブルについてくれます」

 今回の事件が社会に大きな衝撃を与えたのは、単に犠牲者が多かったからというだけではない。これまで日本社会が直視してこなかった問題が噴出したからだ。事件は、さまざまな問題を社会に投げかけた。

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