会見を終え、司法記者クラブを後にする「ひかりの輪」の上祐史浩代表=6日、東京都千代田区(撮影/大平誠)
会見を終え、司法記者クラブを後にする「ひかりの輪」の上祐史浩代表=6日、東京都千代田区(撮影/大平誠)
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【表】オウム真理教をめぐる動き(AERA 2018年7月16日号より)
【表】オウム真理教をめぐる動き(AERA 2018年7月16日号より)

 一つのカオスの終焉なのか。天皇の生前退位というかつてないカウントダウンで「平成」が終わろうとする中で、時代を象徴する事件の首魁が唐突に処刑された。

【<表>オウム真理教をめぐる動き】

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 1987年に宗教団体として設立し、平成元年の89年に宗教法人として認可されるや弁護士一家3人を殺害、94年の松本サリン事件で7人を殺害、阪神淡路大震災から約2カ月後の95年3月20日に地下鉄サリン事件を起こし死者12人、数千人に及ぶ負傷者を出した「オウム真理教」。その創始者であり元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の死刑を7月6日、法務省が執行した。

「朝方にニュースを見てぼうぜんとしました。国会会期中に、しかも7人というのは想定外。『残念』では言い尽くせないほどの衝撃です」

 こう話すのは映画監督の森達也氏だ。森氏は、オウム真理教信者たちの日常を追うドキュメンタリー映画『A』を98年、続編『A2』を2001年に発表。10年には、麻原の一審公判を傍聴し、オウム真理教事件の真相に迫った『A3』(集英社インターナショナル)を発刊した。森氏はこう振り返る。

「公判での麻原の挙動の不自然さにショックを受け、『A3』の連載を始めました。最初は詐病の可能性もあると思っていましたが、そうではなく、精神的に崩壊していると確信しました」

 麻原は被告人質問で一切語らないまま、一審の公判が250回を超える一方、二審の公判が開かれないまま死刑が確定、そして執行された。こうした麻原の「裁き方」は納得がいかない、と森氏は言う。

「オウム事件というのは全然終わっていないんですよ。しっかり解明できていれば、ある意味でピリオドを打てたんだけど、解明しないまま、ずっとくすぶり続けて、日本社会をどんどん変質させてしまいました」

 オウム事件後、社会に不安や恐怖を抱いた人々は、一人が怖くなって集団化が加速した。同調圧力を強めた集団は同調しない異物探しに躍起になり、集団外に共通の敵を探し求めるようになった――。それが、今の安倍政権の支持にもつながっている、と森氏は唱える。

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「ひかりの輪」上祐史浩代表が会見で語ったこと…