弁護団を揺さぶったこの事件は、松本被告の裁判がなかなか検察側の主張通りに進まない中で、起きた。安田氏は無実を主張。渡辺脩団長以下、松本被告の弁護団も強く抗議し、土屋公献日弁連会長の呼びかけで1000人以上の大弁護団が結成された。

 拘置は10カ月に及び、東京地裁は安田氏を松本被告の国選弁護人から解任した。その後も私選弁護人として主任弁護人にとどまったものの、弁護活動からは事実上離れている。

 03年12月、東京地裁は安田氏に無罪を言い渡す。判決は「検察官の態度はアンフェア」と捜査を厳しく批判した。東京地検は東京高裁に控訴。2審では有罪となり、11年12月、最高裁決定で50万円の罰金刑が確定している。

 松本被告の裁判は、主任弁護人不在のまま、03年10月に結審した。被告との意思疎通を欠いたままの弁護団は、「弟子たちの暴走」だとして無罪を主張したが、一審で死刑判決が言い渡され、上級審でも覆ることはなかった。

 安田氏によると、接見室で向き合った松本被告はジョークも言うし、相手の心を読んで、話を引き出すような問いかけをする。弁護人の安田氏が仲介していたからかもしれないが、教団や信者からの相談に対する答えも、決して威圧的でも断定的でもなかったという。

 こんな話を聞くと、理系のエリートたちが、狂気の集団に引き寄せられていった理由の一端が、わかる気もする。

 安田氏は「(地下鉄サリン事件の起きた)95年3月20日は日本の『9.11』だったとつくづく思う。あのときを境に、法律ではなく主観、感情で物事が進むようになった」とも言う。

 確かに、「マインドコントロール」という言葉だけでは解明しきれない謎は、まだ残っている。(肩書は当時)

(編集部・井原圭子)

AERA 2004年3月1日号