両陛下は被災地訪問を重ねるうち、そのスタイルも変化していった。
象徴天皇制を研究する神戸女学院大学の河西秀哉准教授らはテレビ番組や新聞記事を皇太子夫妻時代からさかのぼって調べた。
伊勢湾台風の被災地訪問では、座っている被災者に、天皇陛下は立ったままで話しかけていた。その3年後、結婚後間もない62年に九州を訪れた際、皇太子妃だった皇后さまは宮崎や鹿児島の児童施設で子どもが横たわっているベッドにかがみ込んだり、ひざをついたりして語りかけていた。
●ひざをつき、同じ目の高さ皇后さまの影響
それが、86年11月、三原山の大噴火で伊豆大島を離れた住民を見舞った際には、姿勢に変化が見られた。ご夫妻ともに避難所の床にひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。いまではおなじみのスタイルだが、この時が最初だったと言われる。
天皇がひざをつく姿勢は、昭和天皇の時代にも見られなかったものだ。河西准教授は「美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのでは」とみる。
これに伴って、国民側の意識も変化していった。93年の北海道南西沖地震で奥尻島を訪問した際、避難所でひざをつく姿が報道されると、奥尻町役場に批判の電話が相次いだ。だが同町職員によると、2年後の阪神・淡路大震災では神戸市役所にそうした苦情の電話はなかったという。
日本近現代史が専門の東京大学の加藤陽子教授は、お二人が被災者を支援する業務の職員らに「ありがとう」と語りかけることに注目する。
この語りかけのスタンスはどのような考え方から来るのだろうか。それは「現天皇、皇后が、天皇を『日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』と定める憲法の条文について、国家と国民をつなぎ、さらに国民と国民をつなぐ両方の役割が期待されていると読み込んだということなのではないか」と解釈する。
「過去の歴史を顧みて、国民を国家に強力に結びつけようとした戦争の時代の暗い記憶にさいなまれながら、たとえば災害時に、東京と福島とで国民と国民がバラバラにならないよう努力を重ねてきたのが、被災地訪問の営みなのだと感じました」
加藤教授が加わって昨年11月8日、東京・本郷の東大文学部で開講された「東京大学朝日講座」でも、両陛下の被災地訪問が話題になった。聴講した東大生たちからは、こんな感想が寄せられた。
「制度としての天皇と、人間としての天皇の相克を学ぶことができた。天皇は制度である前に一人の人間なのだということに気づくことができた」(法学部3年男子)