翻訳は通訳と違い、辞書が使えて時間もかけられる仕事だ。英単語を多く知るよりも、むしろ日本語でどう表現するかが勝負になる(撮影/写真部・大野洋介)
翻訳は通訳と違い、辞書が使えて時間もかけられる仕事だ。英単語を多く知るよりも、むしろ日本語でどう表現するかが勝負になる(撮影/写真部・大野洋介)
この記事の写真をすべて見る
3人の翻訳者に聞いた完読のコツ(AERA 2018年3月5日号より)
3人の翻訳者に聞いた完読のコツ(AERA 2018年3月5日号より)

 洋書が読めたらカッコいい。「でも自分には無理」? いいえ、日本人はすでにその英語力を持っています。完読にはコツがある。翻訳のプロ3人が伝授します。

【3人の翻訳者に聞いた完読のコツはこちら

*  *  *

 The evening began at six-thirty, but Steve Bannon, suddenly among the world’s most powerful men and now less and less mindful of time constraints, was late.

 これがいま、トランプ政権内部の暴露本として世界中で話題になっているマイケル・ウルフ著の『Fire and Fury(炎と怒り)』の書き出しの段落だ。一語一語、日本語に訳すとなると時間も神経も使うし、分からない単語もあるだろう。

 それでも、ざっと読んで何が書いてあるのかをだいたい把握することは、全く難しくないレベルの英語で書かれている。

 アマゾンではネット上で、買いたい本の一部を試し読みできる。洋書を扱う書店でも、立ち読みは可能だ。最初の数段落を読み、書いてあることの全体像が把握できるなら、その後の段落も同じように読める。難易度が突然上がることは、ほとんどないと、40年以上の翻訳歴がある小川昭子さん(69)は強調する。

「最初のページは一番凝った文章になっていることが多い。力を入れているから。最初の何ページかを、ざざっと読み流してみて、これはいけそうと思えば、食いつけばいい」

 本誌は今回、半世紀にわたり通訳(10万件)や翻訳(50万件)などの業務を手がけ、政府の外交交渉や企業のビジネス戦略の一端を担ってきた語学専門家集団「インターグループ」(本社・大阪市)の協力で、同社に登録している小川さんら翻訳家3人を紹介してもらい、それぞれを個別に取材した。

 英語の原著を日本語翻訳している専門家たちが口をそろえるのは、和訳版には翻訳家の癖や特徴、工夫などが出て、原著と一言一句、完全に一致する翻訳はあり得ないということだ。
 
20年以上の翻訳経験がある早川直子さん(51)が言う。

「英語と日本語は全然異なる言葉なので直訳はあり得ない。かといって、意訳をしすぎるのはいけないので、あんばいが難しい。訳者を通して出てくるものなので、原著の完全な黒衣になるのは無理です」

 小川さんも早川さんも、だからこそ、著者が自分の言葉で書いた原著を読むことをお勧めするという。そして、原著を読むのに挫折している人の最大の原因が、「知らない単語」にこだわりすぎることだ。

「私はTOEICで980点を取ったことがありますが、一般向けの洋書でも、分からない単語がポロポロ出てきます。仕事だと辞書は必需品ですが、読書なら、少なくとも最初の1冊目は、辞書を引かずに最後まで読み、話の流れを把握することが大事。辞書を引くことで止まってしまうと、全体の流れが分からなくなり、挫折する」(小川さん)

 繰り返し出てくる単語で不明なものがあれば、それぞれの文脈の中でどう使用されているかである程度意味が想像できる。毎回、辞書を引くと字面の説明だけで記憶に残らず、むしろ使用例の中で覚えた単語は忘れない。「ちょうど、赤ちゃんが言葉を覚えるのと同じ」と小川さん。辞書は、読み終わった段階で引いて、意味を確認する程度がいいと説明する。

 早川さんは「好きなものを読むのが最大のコツ。面白さが勝って、想像力が最大限まで働くので、早く先を読みたくなり、辞書を引く暇がない」。好きな人物の自叙伝や、興味のある著者の本などをピンポイントで選ぶのが重要だと語る。

 お薦めの本は、村上春樹の『ノルウェイの森』の英訳版で、ジェイ・ルービンが翻訳した『Norwegian Wood』。原著の文意が完全にとれた素晴らしい翻訳なのだという。

「日本語で一回読んだ後に、まだ印象が強い時点で、ジェイ・ルービンの英訳を読む。分からない単語は流し読む。手持ちの英語で勝負するうちに、また足していこうとなり、増えていく。賢くなろうと思って読んで失敗するより、娯楽として読み進めることを重ねていけば、無意識に言葉は蓄積される」

 自分に合った洋書を選ぶうえで、読者の読解力と洋書難易度をマッチさせるための指標がある。「LEXILE(レクサイル)指数」だ。米国の学校教育を始め、世界165カ国以上で活用されている。読解力を0~1600+の範囲で数値化。約100ごとに区分けし、それぞれで用意されたサンプル文が理解できるところが自分のレクサイル指数となる。読むのに必要なレクサイル指数が記された洋書も多く、自分のレクサイル指数と比べて、読める本をマッチさせる。アマゾンでは、自分のレクサイル指数に合った本を検索できるサービス(https://www.amazon.co.jp/b/?node=3948232051)もある。全ての指数に合わせたサンプル文も掲載されており、自分の指数を見つけるのに活用してほしい。

 翻訳家の中でも異なる意見もある。15年のキャリアがある春宮真理子さん(40)は、「単語の意味を調べて、深く読んでいかないと勉強にはならない。私は、分からない単語があると気になってしまい、話の方向性が分からなくなる」。

 それでも春宮さんは、映画化されているなら先に映画を見てから原作を読んだり、身近な社会現象を取り上げたノンフィクションを選んだりすれば、話の方向性が分かっているので、まだ読みやすいと話す。

 前出の早川さんが言う。

「洋書と言うと、高い頂に見えてしまうかもしれないけど、実はそうではない。勉強としてではなく、あくまでも自分に合った本を見つけ、楽しむことが一番のコツかもしれないです」

(編集部・山本大輔)

AERA 2018年3月5日号