だがここでも“救世主”が現れる。今回の3人目のノーベル賞受賞者であるバリー・バリッシュだ。素粒子物理学者として彼が参加していたSSC(超伝導超大型加速器)計画が93年に中止となったのを機に、第2代統括責任者となった。ビッグプロジェクトの牽引役としてすべきことは資金確保と研究チームの立て直し、だった。

 バリッシュは計画を綿密に見直し、装置改良も含めて3億ドルの予算をNSFに認めさせた。さらにLIGOへの参加をカルテクとMITに限らず全世界に呼びかけ、国際プロジェクトと位置付けたのだ。そうして、米国の2カ所への施設建設も94
年に始まり、LIGOは生き返った。バリッシュは2005年まで責任者を全う。素粒子実験新プロジェクト「国際リニアコライダー」の責任者に転身したが、その後も「バリッシュがいなければ重力波発見はありえない」との声は多い。

 かくしてLIGOは運転を開始したが、06年から10年までの観測では重力波の兆候は見つからず。11年から14年には、感度を数倍から場合によっては100倍にするなど、徹底的な改造がなされた。そして迎えた15年、とうとう重力波信号をキャッチしたのだ。統括責任者のデビッド・ライツィは記者会見で言った。

「私たちはやったぞ!(We did it!)」

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