政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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今回の突然の解散劇で驚いたのは、衆院選の公示日が朝鮮労働党創建記念日の10月10日に設定されたことです。北朝鮮の軍事的挑発がもっとも懸念されるこの日を公示日に選んだということは、北朝鮮が重大な挑発に及んだ場合、それが選挙で大きく与党側に働くだろうという読みがあったのでしょう。
かつての軍事政権下の韓国で選挙のたびに取り沙汰された「北風効果」と今回の解散劇は、似ているといえば似ています。そこには、権力の維持のためにはなりふり構わず、ありとあらゆるものを利用、動員する「権勢の政治家」の面目躍如たるものがあるように思えてなりません。
権勢の政治家といえば、安倍晋三首相の祖父の岸信介氏が思い浮かびますが、岸氏には超国家主義者の北一輝や右翼でありアジア主義者の大川周明の影響が見られ、それなりに思想と呼べるものがありました。ところが、安倍首相の場合は、何かがらんどうのような空虚さがつきまといます。安倍首相が一時期私淑していたに違いない西部邁氏からも、真の保守ではないとバッサリ切り捨てられているほどです。
中身のない保守という点では、いま台風の目になっている希望の党のリーダー、小池百合子東京都知事も五十歩百歩かもしれません。
「寛容な改革保守」を希望の党は基本理念に掲げていますが、その意図することとは何なのか、寛容なのになぜ「排除の論理」を振りかざして候補者を選別するのか。その基準が安保や憲法改正に対するスタンスだとすると、政権の唱える保守とどう違うのか。小池氏の政治の師であるはずの細川護熙元首相から「こざかしい」と揶揄される小池都知事には語るべき政治理念なり思想があるのか。それとも、小池氏もがらんどうで、それを埋め合わせるかのように権力への執念だけがギラついているのか。
空虚さの否めない権勢の政治家がともに保守を語り、総選挙後に手を取り合うことになれば、そこには保守翼賛の大きなうねりが待っているかもしれません。今回の選挙はその始まりになりかねません。
※AERA 2017年10月16日号