だが、桐生は孤独ではなかった。
「桐生は僕の指導に足りないところを教えてくれた。本人主体の考え方が一切できなかった。本人がどう感じているのか、どういう助言をすべきなのかを考えました」
土江コーチは悩み抜き、指導の仕方を徐々に変えていった。単純な筋トレに意味を見いだせない桐生のため、上り坂ダッシュ、そり引きやミニハードル走など工夫したメニューを提示した。理論の押し付けをやめると、桐生は素直に心を開くようになり、信頼を獲得していった。
●暗闇で二人きりの練習
高校3年から体を託している後藤勤トレーナーも桐生の心に寄り添ってくれた。身の入らない練習や食事の偏りを頭ごなしに指摘するのではなく、「彼のペースに合わせて一緒に成長するようにした」。15年の世界選手権を逃し、ライバルたちが大舞台で躍動する同じころ、暗闇のグラウンドで二人きりで明日のための練習にいそしんだ。
精神的に成長した桐生は、昨年のオフにはハンマー投げの五輪金メダリストの室伏広治氏とのトレーニングに取り組むなど、新たな挑戦に目を向け、9秒98につなげた。
そこには、この4年間の試練の中で築き上げてきた土江・後藤両氏との固い信頼関係があった。30センチの進化の証しであり、次のステージで世界とまみえるための原動力となる。大学卒業後、桐生は企業に所属する予定だが競技環境は変えない。土江コーチ、後藤トレーナーとの「チーム桐生」が再始動する。(スポーツライター・高野祐太)
※AERA 2017年9月25日号