「SNSは、例えば嫌なことがあったらそのつらさをすぐに書いてしまいますよね。本人が怒り、侵害されたことにのみ、焦点が合っているときに書けば、怒りばかりがクローズアップされる。そもそも人間はネガティブな情報の価値のほうが高いと感じやすく、注意がそれにくいのです。また、目の前に相手がいないので、殴られたり危険にさらされたりする心配がなく、抑制がかかりづらい面もある。匿名ならなおさらです」
30代の会社員女性は最近フェイスブックで「炎上」を経験した。きっかけは、コンビニ総菜だ。職場のアルバイトの大学生がコンビニで買ったカット野菜にドレッシングを入れ、袋からそのまま食べていた。それを「大学生若いなー、おもしろい!」と投稿したところ、「私もやっている」「食器を使わないからエコ」「行儀が悪い、注意すべき」「食べものをいただく気持ちがなってない」などとコメントが賛否両論50件以上寄せられ、炎上状態になったのだ。
「失敗したな、と思いました」(女性)
首都大学東京教授で社会学者の宮台真司さんは、ウェブ上で感情が溢れかえる炎上案件が多発する背景には、ここ二十数年の社会的な変化があるという。
「かつて、日本には本音と建前がありました。本音が、仲間や共通前提がありシェアしている世界。建前が法律で、2番目によいものでした」(宮台さん)
ところが、1990年代に一気に法化社会が進んだ。隣人がうるさければ警察を呼び、ホタル族が問題になれば、条例をつくる。法からの逸脱者を見つければ、バッシングする。もはや、近隣も国民も「仲間」ではない。人は被害妄想的になり、それが社会全体に広がった。たやすく炎上するのは、不安ゆえだ。
●時代の空気は変わった
「道徳や法律は、失われた共通前提の代わりをしてくれる。だから、炎上ネタは道徳や法律に関わるものが多い。本人たちが道徳的か、法律を順守しているかとは関係ありません。少しの逸脱に攻撃をぶつけ、虚構の仲間と、虚構の共同性をつくりだしているだけです」(同)