
三輪ならではの開発を
ヤマハ発動機 技術本部 NPM事業統括部 LMW開発部 高野和久(55)
撮影/東川哲也
アエラの連載企画「ニッポンの課長」。
現場を駆けずりまわって、マネジメントもやる。部下と上司の間に立って、仕事をやりとげる。それが「課長」だ。
あの企業の課長はどんな現場で、何に取り組んでいるのか。彼らの現場を取材をした。
今回はヤマハ発動機の「ニッポンの課長」を紹介する。
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■ヤマハ発動機 技術本部 NPM事業統括部 LMW開発部 高野和久(55)
学生時代からバイクが好きだった。鹿児島大学工学部機械工学科に在学中はモーターサイクル部に入り、モトクロスに熱中。ヤマハYZに乗り、ガソリンスタンドでバイトをしながら、「飲まず食わず」で部品をそろえた。ヤマハのバイクショップに通ううちに、自然とヤマハファンに。1986年に卒業後、高野和久はヤマハ発動機に入った。
入社後はモータースポーツ開発部に所属。レース用バイクの車体設計などを担当した。初めての海外出張はダカール・ラリー(通称パリダカ)だった。スタッフとして、「世界一過酷」とも呼ばれるレースに随行。約1カ月の期間中、屋根のある部屋で寝たのはたった2日、あとはテント泊という経験をした。
三輪のバイクを開発する「LMW開発部」への異動を命じられたのが6年前。パリダカ、各種ロードレーサー、そしてモトGP用と、レース用マシンの開発に入社以来の年月を費やした高野にとって、一般の人に向けた市販車を開発することは、青天のへきれきだった。そんな時、高野の妻が声をかけた。今までのバイクには私は乗れなかったから、今度は私が乗れるバイクを作って、と。
「免許も取ってくれたんです。妻が気に入るようなバイクを開発しようと思いました」
転びにくく、安定した走りと、二輪に極めて近い乗り心地、さらには女性でも扱いやすい性能を兼ね備えた三輪のバイクを目指した。肝となる前二輪機構の構造をどうしたらいいのか、割り箸と輪ゴムを使って、自宅のこたつで考えたこともあった。そして2014年、「トリシティ125」を発売した。
「静岡から京都に住む娘のところへ、妻と2人でトリシティに乗って行きました。10時間かかったけど、行けましたよ」
今年1月には、さらに改良を重ねた「トリシティ155 ABS」も続いた。
「三輪は二輪よりもブレーキが利きやすいし、横風にも強い。三輪ならではの可能性を追求していきたい」
さらなる改良へ、開発の手は緩めない。
(文中敬称略)
(編集部・大川恵実 写真部・東川哲也)
※AERA 2017年3月27号

