沖縄世論はそうした点からも、他に選択肢がないとの理由で安倍政権を支持し続けている「本土」の多数世論とは異質といえる。こうした内実を踏まえ、「本土」で沖縄を語るのであれば、相手の心象風景を塗り替えるほどの覚悟で臨まなければならない。

 そこに、「歌人」はどのように斬りこむのだろうか。

 2月5日に那覇市内で開かれたシンポジウム「時代の危機に立ち上がる短歌」を、琉球新報が2月23日付で詳報している。永田和宏(「朝日歌壇」選者)の指摘に頷かされる。

「沖縄に基地が集中している状況を許してはいけないという思いはある。だが、それをそのまま歌うと空々しい言葉になる。『それは本当にお前の言葉か』と、自己相対化する視線を持っていないといけない」

 このシンポは、『現代短歌』2月号での「特集 沖縄を詠む」と連動している。同誌に掲載された坂井修一の意見には、「歌人」でなくとも耳を傾けたい。

「歌人として沖縄を思うことは、遠い親戚の消息を尋ねるようなことではない。私たちの心のありようを真剣に探ることのはずだ」

 ウチナーンチュ2世の移住者の視点で精力的に執筆している仲村清司の著書は、作品ごとに哀切と陰影が深まっていく。『消えゆく沖縄』(仲村清司著、光文社新書)の読後感も痛切だ。この本の帯には「遺言」と書かれている。それに該当すると考える一節を、私の独断で拾わせてもらうと以下になる。

「間違ったかたちで日本に追随したり支えたりすると沖縄は自滅する」

「移住生活20年の光と影」の副題が付く同書。著者の領域には遠く及ばないが、私も移住者として沖縄に17年間暮らした。地元紙で主に基地問題を担当し、今ひしひしと感じているのは、事態が悪い方向に向かうのを止められなかったことへの痛惜の念である。今や沖縄は誰の目から見ても、日米の軍事拠点と化しつつある。その延長線上には、「沖縄戦」の再来という歴史的既視感が像を結ぶ。

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