『ズマ』ZUMA
『ズマ』ZUMA
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 「ハート・オブ・ゴールド」が図らずも全米1位を記録してしまったことの結果としての状況変化。そして、ダニー・ホイットゥンの死。1972年から74年にかけてニール・ヤングは、苦悩を抱えながら、自分の進むべき道を模索していた。『タイム・フェイズ・アウェイ』から『トゥナイツ・ザ・ナイト』、『オン・ザ・ビーチ』にかけての3枚は、その苦悩やある種の怒りのようなものがダイレクトに反映された作品といえるだろう。

 74年の夏にはCSNYの大規模リユニオン・ツアーが行なわれ、彼らは『デジャ・ヴ』以来ということになる新作の完成を目指してスタジオにも入ったのだが、結局、頓挫してしまっている。周囲からの期待には応えられなかったということだ。また同時期に彼は、女優キャリー・スノッドグレスとの別離が反映されたものだという作品『ホームグロウン』をほぼ完成させながら、お蔵入りさせてしまったという逸話も残している。

 しかし、ひょっとすると、逆にそれがいい意味での引き金となったのかもしれないが、このあとニールは、新しい一歩を踏み出すこととなった。ビリー・タルボットに紹介されたフランク“ポンチョ”サンペドロをギターに迎え、クレイジー・ホースとの活動をあらためて軌道に乗せたのだ。ようやく吹っ切れた、ということだったのだろう。

 その新生クレイジー・ホースとつくり上げた最初の作品が、75年秋リリースの『ZUMA』だ。全9曲のうち、7曲が彼らとの録音、「バードン・マイ・ハート」がニールのソロ、最後の「スルー・マイ・セイルズ」はCSNYとのセッションから、という構成がとられている。

 カナダ時代の曲を甦らせた「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」から、じっくりと聞かせる「デインジャー・バード」、長尺の「コルテス・ザ・キラー」まで、ホースと組んだ曲からは、歌詞はともかくとして、ポジティヴな印象が伝わってくる。プロとしての体験はほとんど積んでいなかったようだが、ポンチョの起用は間違いなく正解だった。バッキングに徹したシンプルで力強いプレイによって、彼は、ホイットゥンとは異なる形でニールに刺激を与えていたのだ。そして、ここでの手応えが、着実に次のステップへとつながっていく。[次回7/29(月)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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