実をいうと、こうした宗教右派の内部には従来、改憲論ひとつをとっても、「教理問答=カテキズム」と称される主張の相違があった。例えば生長の家の開祖・谷口雅春は、占領下につくられた現憲法は「無効」であり、明治憲法を「復元」すべきだと訴えた。その主張を絶対視する者には、現憲法の「改正」など許し難いものに映る。こうした小異を措(お)いて大同に就こうと結成されたのが日本会議だった。まさに“宗教右派の統一戦線”というにふさわしい。

●「歴史を冒涜する愚挙」

 もちろん、宗教団体や宗教家が政治運動をしてはならないわけではない。しかし、宗教団体や宗教家の政治活動は政教分離を侵しかねず、「宗教心」に駆動された日本会議の運動と主張は、実際に近代民主主義社会の大原則を容易に踏みにじる。

 その兆候は、事務総長・椛島氏の主張にも端的に見てとれる。長年にわたって椛島氏が率いた右派組織、日本協議会・日本青年協議会の機関誌「祖国と青年」には、こんな“アジ文”がいくつも掲載されてきた。

<今日の日本は、祭政一致の日本の国家哲学を政教分離の思想によって否定する思想風潮がある。(略)政教分離思想によって、祭政一致の国家哲学を否定することは(略)、まさに歴史を冒涜する愚挙と言わねばならない>(同誌90年8月号)

<天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり(略)、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない>(同誌93年4月号)

 政教分離や国民主権の否定。さらには過大なまでの国家重視と人権の軽視。プンプンと漂う天皇中心主義と自民族優越主義=エスノセントリズム。宗教学者の島薗進氏(東京大学名誉教授)はこう警鐘を鳴らす。

「停滞期において不安になった人びとは、アイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合、国体論や天皇崇敬、皇道というようなものに集約されました」

──それはやはり危ういと。

「ええ、非常に危ういと思います。かつては“危ない勢力”と認識された者たちが、いまや立派に見えてしまっている。これは驚くべきことです」

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