東京ヒルトンホテル「紅真珠の間」での記者会見(1966年6月29日) (c)朝日新聞社
東京ヒルトンホテル「紅真珠の間」での記者会見(1966年6月29日) (c)朝日新聞社
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 1966年7月、中学1年生の筆者は、「特別番組 ザ・ビートルズ日本公演」(日本テレビ)の放送を見ていた。ラジオのヒットパレードで洋楽を聴くような中学生は皆、ビートルズのシングル盤レコードを何枚か持ってはいたが、日本武道館に行くほどではなかった。

「ビートルズ来日は、明らかに大人社会が今まで経験したこともない新しい潮流の出現に恐れおののいた、いわば畏敬の対象であったのかも知れません。武道館に行った少女たちはピュアな感性でビートルズを受け止めたのです」

 そう当時の日本社会の反応を考察するのは、宮永正隆さん(56)。『ビートルズ来日学』(DU BOOKS)の著者だ。

 同書では日本に向かう機内の様子を当時の客室乗務員の証言から再現したり、来日公演の台本や会場警備計画の内部文書、宿泊先の東京ヒルトンホテルのスタッフたちの証言など、豊富な写真、記事で埋め尽くされ、ビートルズ来日をめぐる出来事がまるでグランドホテル形式のドラマのように展開される。

●記者会見のユーモア

「記者会見はメジャーな新聞社や雑誌社が事前に呈示した質問を匿名でまとめたものを、記者協会の幹事社が読み上げていく代表質問形式でした。音楽雑誌の抜け駆けを許したくないが自分たちはビートルズに何を聞けばよいかわからないという状況での、いかにも日本的な解決方法が読み取れます。4人は硬直化した質問にきちんと答え、時にはジョークをまじえて切り返しそこにいる誰よりも成熟していることすら気づかずに、どこかビートルズを色物扱いで見下しながら進行していくさまは、日本のメディア、つまりは当時の大人社会のビートルズ認識がよく分かります」(宮永さん)

 その様子は先ごろNHKで放送されたドキュメンタリー「アナザーストーリーズ 運命の分岐点『ビートルズ旋風 初来日熱狂の103時間』」(2015年制作)で見ることができた。

 番組では、ビートルズ来日警備の責任者であった山田英雄氏(後の警察庁長官)も登場して当時を振り返りこう語った。

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