戦後71年がたち、沖縄戦を体験した世代が少なくなっていく。
そんな中、体験と不戦への思いを次世代へ引き継ごうと努力する人たちがいる。
現在の沖縄の基地問題はすなわち、あの凄惨極まりない沖縄戦からストレートに繋がっている大問題である。
「原点」としての沖縄戦を学ばない限り、現在も理不尽な形で沖縄に集中的に米軍基地が押しつけられている問題の本質は、決して見えてこない。
一方では、戦後71年の時が経ち、戦争体験者が亡くなることが避けられない現実もある。
人はそんな状況に直面したときに、しばしば「風化」という言葉を使う。戦争体験そのもの、あるいは戦争の道へ二度と、決して踏み出してはいけないという意識が、次世代に伝わっていかないのではないか、と不安になる。筆者もそう思う一人だ。
では実際に「戦争体験の継承」の現場で日夜努力している人の実感はどうなのだろうか。
ひめゆり平和祈念資料館は、糸満市伊原の陸軍病院第三外科壕跡地の「ひめゆりの塔」に隣接して立っている。沖縄戦時の陸軍兵士の看護のために動員された「ひめゆり学徒隊」元学徒らの証言をもとに、多数の犠牲者を出した凄惨な沖縄戦の実態をわかりやすく理解できるようにした資料館だ。
●戦争のむごさ命の重さ
元学徒でもある島袋淑子館長(88)は、資料館設立時の思いを語る。
「戦争のむごたらしさと一人ひとりの命の重さについて、広く人びとに知ってもらいたい、そうすることで亡くなった友人たちへの供養にもなれば……」
1989年の資料館開館に至るまで、長い間、元ひめゆり学徒たちは「生き残った者の苦しみ」をとことん反芻する日々を過ごしている。
沖縄戦末期の激戦地で、負傷した友を壕に残していかねばならなかった負の記憶。あの友を本当に助けることはできなかったのか、という後悔と自責の念。しかし資料館をつくり、語る場ができてからは、意識が変わっていった。どんな反応をするか心配だった友人たちの遺族が、口々にこう告げてくれたのだ。
「ありがとう。あなたたちが生き延びてくれたからこそ、うちの子の最期の様子もわかったんだから」