島袋館長はこう振り返る。

「ああ、こんな私でも生きていていいんだと思えました。でも、私たちも年を取ってきて、いつまでも語り続けられるわけではないという現実に向き合い、やがて今後のことを元学徒のみんなで話し合うことになりました。そうして10年ぐらい前から計画的に準備して、昨年の(語り部としての)『引退』に至ったわけなんです」

 島袋館長と向き合ったときにヒシヒシと伝わってくるのは、「戦争は絶対に駄目です」という強烈な思い、友の死を無駄にしないという使命感である。外部に向けての講話からは暫定的に「引退」したとはいえ、今も展示室に立って語り部を務めることがあり、矍鑠たる姿勢は健在だ。島袋館長は、穏やかな語り口ながらも、現政権への批判を隠さない。

「辺野古の新基地だって、県民の心を無視して無理やりにつくろうとするのは許せません」

 そのように戦争に繋がるすべてを拒否する自覚を持つ元学徒だからこそ、「体験の継承」を真剣に考え、計画的な「バトンタッチ」を図ろうとしたのに違いない。戦争を知らない若い世代の説明員を育成し、来館者に「戦争のむごたらしさと命の重さ」を伝え続けてもらう計画が見事に実現した。

●記憶を持って帰って

 その説明員の第1号が、同館学芸課係長でもある仲田晃子さん(39)である。大学院修士課程で「ひめゆり学徒隊の存在が戦後どのようにメディアで伝えられたか」を研究した後、2005年に職員として採用され、やがて元学徒隊の戦争体験者とともに、展示室内に説明員として立つようになった。仲田さんは、日頃こう心がけている。

「来館者は、説明を聴きたくてやってきた人とは限りません。ただ展示を見たいというだけの観光客の方も多いです。その人たちに、何を語りかければ、少しでもここでの記憶を持って帰ってもらえるか、来館者の状況を見ながら臨機応変に対応できるようにしています」

 戦争体験が「風化」していくことへの危機感はないだろうか。

「ないわけではありません。当時の激戦地に位置する地元の小学校から児童たちが学習に来たとき、戦争のことを誰かから聞いたことがある人は?とクラス全体に問いかけると、1人だけそっと手を挙げて『おじいちゃんが、なんか戦争の話をしていたことがある』と答えたという場面もありました。そういう時代ですが、今後学校の先生方ともどんな接点を持てるか考えたいと思っています」

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