アニメ界の巨匠・宮崎駿監督の「引退」宣言に驚いた人も多いだろう。最新映画「風立ちぬ」には、引退をほのめかすセリフが散見される。最後の映画に込められた監督の意図はなんだったのか。
映画「風立ちぬ」は、大正からやがて戦争に突入していく昭和にかけての日本が舞台だ。主人公は宮崎アニメ初の実在の人物で、零戦設計者として知られる天才技師、堀越二郎。彼の生きる姿を通して、「堪(たふ)る限りの力を尽くして生きる人々」(宮崎監督)を美しく、繊細に描く。と同時に、二郎が幼い頃から憧れた飛行機のイタリア人の設計技師、カプローニとの時空を超えた友情や、ヒロイン菜穂子との運命的な大人の愛を描く。
アニメ評論家の藤津亮太さんは、
「一筋縄ではいかない映画。これまでの宮崎作品らしさと、こんな宮崎作品見たことがないという新しさ。しかも、その二つが見事一体となっている」
と話す。監督らしさといえば、例えば風の揺らぎ。二郎と菜穂子が初めて出会う列車のシーンが象徴的だ。風に吹き飛んだ二郎の帽子を菜穂子がキャッチする。これまで描いてきた、一見か弱いが芯は強い、というヒロイン像も菜穂子に生きている。
一方、今回の新しさといえば、監督が初めて描いた「大人のラブシーン」だろう。「チュッ」と音が聞こえるほどのキスシーン、二郎と菜穂子の初夜の描写。衝撃だった。
それだけに、長編“最後”の作品と思って見れば、新たな挑戦も「最後という覚悟のゆえか」と思えてくる。もっとも本人は「(製作中は)映画をつくるのに必死」で引退まで考えることはなかったと言うのだが。「風立ちぬ」には引退を予感させる台詞が端々に出てくる。二郎の夢の中で憧れのカプローニが二郎に語る。印象的なのは、
「創造的持ち時間は10年だ」
という台詞だ。公開前のテレビのインタビューで、宮崎監督はその台詞に一番力を入れたと話していた。監督自身が「持ち時間10年」を感じたのは、実は、監督になる前の20代のときのことだったという。
映画のクライマックスで(死んだ)菜穂子が二郎に言う「生きて」という言葉は、絵コンテの段階では「来て」だった。藤津さんは、
「監督はやりたいことを燃焼し尽くしたあと、人はどうすればよいのかを考えていたのではないでしょうか」
自身の創造的持ち時間である10年をとっくに超えながら、監督は「生きねば」と力を振り絞り続けていたのは疑いない。会見で宮崎監督は改めて「風立ちぬ」を振り返って、鈴木プロデューサー、音楽の久石譲さんをはじめ、多くのスタッフに感謝を込めて言った。
「円満な気持ちで終えることができた。こんな気持ちは初めて。いい体験として終われた。運が良かったと思っています」
※AERA 2013年9月16日号