『デクスター・ライズ・アゲイン』
『デクスター・ライズ・アゲイン』
『Meets Master Bop Saxes』
『Meets Master Bop Saxes』
『1949-1950』
『1949-1950』
『スティット、パウエル&J.J.+3』
『スティット、パウエル&J.J.+3』

●デクスター・ゴードン(1923‐1990)

テナー・サックスのパーカー

 バップ期のアルト・サックス界はチャーリー・パーカーが一人勝ちの様相を呈したが、パーカーの吸引力が少しは緩和されたテナー・サックス界からは数人の優れた奏者が出てきた。ただ、そのなかで「テナー・サックスのパーカー」にあたるのは誰かと問われると、しばし答えに窮することになる。それぞれが優れて個性的であったにもかかわらず、功績も影響力も遠くパーカーにはおよばなかったからだ。とはいえ、多くの奏者が出発点にしたということでは、デクスター・ゴードン(愛称デックス)の右に出る者はあるまい。

 ロスに生まれ、13歳でクラリネットを始め、やがてベン・ウェブスターのソロ(注)を聴いてテナー・サックスを志す。15歳でアルト・サックスを吹き、40年に高校を中退後、テナー・サックス奏者としてプロ入りする。12月にライオネル・ハンプトン楽団に雇われるが、イリノイ・ジャケーがいたためソロは許されていない。退団後の43年の暮に初リーダー・セッションをもつ。ダークなトーンはともかく、モロにレスター・ヤングの影響下にある。44年5月にルイ・アームストロング楽団に加わるが、半年ほど居眠りしていた。

バップ・テナーの第一人者

 9月にビリー・エクスタイン楽団に参加し、転機が訪れる。同月の《ブローイング・ザ・ブルース・アウェイ》でジーン・アモンズと演じたテナー・バトルで注目を集め、在団中にバップ・イディオムを吸収していく。45年2月のディジー・ガレスピー(トランペット)のセッションではレスター風だが、9月のサー・チャールス・トンプソン(ピアノ)のセッションではパーカー風になり、退団後の10月のリーダー・セッションでは、《ブロウ・ミスター・デクスター》でレスター(&ジャケー)とパーカーの楽想を混在させた。

 初期の完成形は46年1月のリーダー・セッションにとらえられている。《デクスター・ライズ・アゲイン》をはじめ、バップ期を代表する名演揃いだ。47年の夏にはワーデル・グレイとテナー・チームを組み、名声を確立する。いち早くバップ・スタイルを築きあげたデックスは格好のモデルになった。黒人ではアモンズとテディ・エドワーズが、白人ではスタン・ゲッツがいる。第二世代ではソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンが代表格だ。本人はドラッグ癖もあって53年から引退も同然となったが、60年の秋にロリンズとコルトレーンの影響を示したスタイルで再起、その後はトップ・クラスの地位を守った。

 注:35年8月録音、デューク・エリントン楽団《トラッキン》

●ワーデル・グレイ(1921‐1955)

ジャズ・ミュージシャンの鑑

 グレイが第一線で活動したのは、43年からラスヴェガス郊外で変死体で発見される55年までの12年間だが、多くのセッションに参加している。それらは、スウィングからビ・バップまで、ビッグ・バンドからコンボまで、読譜力が必要なスタジオから一発勝負のライヴまで、実に多岐にわたった。晩年を除けばグレイに凡演・駄演の類はまれで、比類のない歌心とスウィング感が呼び水となって、多くのセッションを成功に導く。求められる技量と望ましい資質を兼ねそなえた、ジャズ・ミュージシャンの鑑というべき存在だった。

 オクラホマに生まれ、デトロイトで育つ。クラリネットから始め、サックスは技芸高校で学んだものと思われる。39年頃にローカル・バンドでプロ入りし、43年にアール・ハインズ楽団に加わった。初録音は44年4月のエクスタイン楽団のセッションだが、ソロはとっていない。初ソロは10月のハインズ楽団の《ファーザーズ・アイデア》で聴ける。まろやかなトーンとスムースなラインはレスター直系だ。45年の秋に巡業で訪れたロスに居を定め、やがて西海岸を襲ったビ・バップ旋風のなかで本格的なモダン派に転身していく。

レスター派からパーカー派へ

 46年にはベニー・カーター楽団に参加し、ハインズ楽団の録音につきあい、エクスタインのグループほかで演奏した。11月の初リーダー・セッションでは《ワン・フォー・プレス》などで、レスターのモダン化を思わせるドライヴ感に満ちた演奏を繰り広げている。47年4月と12月にはジャスト・ジャズ・コンサートに出演し、6月にはデックスと組んだチームでテナー・バトル史上の傑作《チェイス》を録音し、評判が広まった。48年5月、ベニー・グッドマン(クラリネット)のグループに迎えられ、東海岸に活動拠点を移す。

 この頃、スタイルはタイトなトーンと高音域を活かしたパーカー系に変貌していた。このあとも、48年末のリーダー・セッションからパーカー色を深め、《トウィステッド》を含む49年11月のリーダー・セッションでは力強さを増し、50年8月の放送録音《ムーヴ》ではソニー・スティット流にハードに迫るなど、変貌は続く。グレイもドラッグで身を持ち崩し、51年の暮に西海岸に戻ってからの演奏はおおむね精彩を欠いた。影響をうけた大物に、黒人ではアモンズとフランク・フォスターが、白人ではアレン・イーガーがいる。

●ジーン・アモンズ(1925‐1974)

レスター系のスウィンガー

 アモンズは、30年代末にブギ・ウギ・ピアノで一世を風靡したアルバート・アモンズの息子としてシカゴに生まれた、いわばジャズ界のサラブレッドだ。40年代の後半はビ・バップの喧騒とは趣きの異なる趣味のよいスタイルを打ち出したが、50年代に入るとアーシーな持ち味を前面に出した演奏が目立つようになる。ドラッグ禍で通算10年ほどを別荘で暮らしたこともあって巨人とよべる功績は残せなかったが、初期はともかく、アーシーで野太い前期のスタイルに影響された者は少なくない。見過ごすわけにはいかないだろう。

 やはりクラリネットから始め、名手を輩出したデュ・サブル高校(注)で音楽を学ぶ。43年頃にキング・コラックス楽団でデビューし、44年9月にエクスタイン楽団に参加する。同月に初録音、前述したデックスとのテナー・バトルで名をあげた。二人の識別は難しいかもしれない。マイルドでスムース、よりレスターらしいほうがアモンズだ。45年2月と3月の放送録音では、ホーキンス流の逞しいトーンで「タフなレスター」というべきスタイルになっている。《ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー》は在団時を代表する快演だ。

バッパーからコテコテ系へ

 47年の退団後、自己のグループを組織し、6月に録音した《レッド・トップ》が大ヒットする。このアーシーなブルースは、スウィングにビ・バップのスパイスを効かせた風のアモンズがブルースに深く根ざしていることを明かし、のちの路線の出発点ともなった。8月のセッションも同じ趣向だが、10月からはビ・バップにもどり、12月にはデックスやグレイ流の語り口を見せ、本格的なモダン派への転身をはたす。R&B系の演奏も含む49年2月のセッションで、硬派からも軟派からも支持されたスタイルは出来あがっている。

 50年1月にスティットとグループを組み、3月にはテナー・バトル史上の名演《ブルース・アップ・アンド・ダウン》を残す。あとは10月と51年8月を除けばR&B系のイージーなセッションばかりだが、それゆえ大衆的な人気を博した。52年3月にコンビを解消し、その後はプレスティッジを中心に録音を量産する。スタイルからいって、影響をうけた者は黒人に多い。同世代ではユーセフ・ラティーフしか見当たらないが、人気の絶頂期に多感な十代だった世代ではスタンリー・タレンタインとヒューストン・パーソンがいる。

 注:卒業生にナット・コール(ピアノ)、ベニー・グリーン(トロンボーン)、アーマッド・ジャマル(ピアノ)、ジョニー・グリフィン(テナー・サックス)などがいる。

●ソニー・スティット(1924‐1982)

あまりにパーカーに似た男

 バップ期に語るべきアルト・サックス奏者はパーカーしかいない。ただ一人迫りえたスティットにしても、良くいえば安心して聴いていられるが、悪くいえば先が読めてスリルに乏しいということがいえる。身も蓋もない言い方だが、閃きは遠くおよばなかったのだ。49年には「いま一人のバード」と呼ばれるの嫌ってテナー・サックスを主楽器にするが、苦渋の選択が偉業につながるとは思いもよらなかったにちがいない。ボストンの音楽一家に生まれ、7歳でピアノを始め、次いでクラリネット、アルト・サックスを手にした。

 40年代の初めにプロ入り、ニューアークとデトロイトで働き、タイニー・ブラッドショウ楽団に入る。初録音になる44年の同楽団と、45年5月のエクスタイン楽団の録音でソロはとっていない。45年から46年までガレスピー楽団に在籍、初ソロは46年5月のコンボ・セッションで聴ける。いくら本人が影響を否定しても、パーカーそっくりだ。8月と9月には自己を含む4セッションで気を吐くが、出来は冒頭で述べた。10月のエクスタイン楽団のあとは48年5月まで録音はなく、そのあとアルト・サックスによる録音は激減する。

アルトで負けテナーで勝つ

 49年10月、テナー・サックス奏者として再登場したスティットは、レスターの超パーカー化を思わせるソロを繰り広げた。バド・パウエル(ピアノ)を迎えた12月のセッションでは《神の子は皆踊る》をはじめ、早くも高音域を活かして熾烈にたたみかけるスタイルを確立し、再びパウエルと組んだ50年1月のセッションでも、生涯の名演《ファイン・アンド・ダンディ》を残す。アルト・サックスでは軽薄に響くことすらあったのに、なんという変わりようだろう。個性的で痛快極まりない吹奏はレスター以来の快挙ではないか。

 スティットのハードなスタイルは、「次の手」を見つけかねていたバップ末期の奏者を触発した。それは、50年8月の《ムーヴ》におけるデックスとグレイのアプローチにもうかがえる。第二世代への影響力は同世代を上まわった。黒人から見ていこう。コルトレーン、ジミー・ヒース、フォスターの識別に困ることがあるのは、彼らがともにスティットをモデルにしたからだ。ほかには、ラティーフ、セルダン・パウエル、ブッカー・アーヴィンがいる。白人ではイースト派のアル・コーン、ウエスト派のボブ・クーパーがいる。

●参考音源

[Dexter Gordon]
Lester Young Trio [additional tracks] (late 43 Verve)
Takin' Off/Sir Charles Thompson (45.9 Apollo)
Dexter Rides Again/Dexter Gordon (45.10, 46.1, 47.12 Savoy)
Saxophone Moods/Dexter Gordon (47.6 & 12 Dial)

[Wardell Gray]
Wardell Gray Volume 1 1944-1946 (44.10-end 46 Masters of Jazz)
One for Prez/Wardell Gray (46.11 Black Lion)
Al Haig Meets Master Bop Saxes (late 48-49.11 Definitive)
Wardell Gray Memorial Vol.2 (50.4, 50.8, 52.1 Prestige)

[Gene Ammons]
Togeter/Billy Eckstine (45.2-3 Somethin' Else)
Gene Ammons 1947-1949 (47.6-49.2 Classics)
The Gene Ammons Story: The 78 Era (50.3-55.11 Prestige)
Gene Ammons All Star Sessions (50.3-55.6 Prestige)

[Sonny Stitt]
Groovin' High/Dizzy Gillespie (46.5 Savoy)
Fats Navarro Memorial (46.8 & 9 Savoy)
In The Beginning/Milt Jackson-Sonny Stitt (48.5 & 6 Galaxy)
Stitt, Powell & J.J. (49.10 & 12, 50.1 Prestige)