●ジャズ・ピアノ前史
ラグタイムからストライドへ
ジャズは19世紀末にニューオリンズのブラス・バンドから生まれた。ブラス・バンドにピアノはないから、ジャズ・ピアノの出自は他の楽器と異なる。ルーツは19世紀末に中西部で生まれたラグタイムというダンス音楽だ。リズムは黒人的だが、形式はヨーロッパのピアノ音楽によっている。楽譜に忠実に演奏され、アドリブはない。ジャズ・ピアノとは呼べないわけだ。代表的な作曲家にスコット・ジョプリン(1868‐1917)がいる。映画『スティング』やCMで使われた《エンターテイナー》は、耳にされたことがあるだろう。
ラグタイム・ピアノは波紋のように全土に広まっていく。やがて、ニューオリンズからジェリー・ロール・モートン(1890‐1941)、ハーレムからジェームス・P・ジョンソン(1894‐1955)、ウィリー“ザ・ライオン”スミス(1897‐1973)といった先駆者が現れてくる。彼らはラグタイム・ピアノにスウィング感と即興性を加え、ジャズ・ピアノの基礎を築いた。系譜ということで重要なのはジョンソンとスミスだ。二人は新しい奏法を創造し、ストライド・ピアノ(注)として実を結ばせた。これがジャズ・ピアノの原点だ。
ストライドからスウィングへ
ジャズ・ピアノ史の初期を彩る巨人たちは、ほぼ例外なくジョンソンをモデルにした。スミス、フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、アート・テイタムなど、枚挙に暇がない。ジョンソンに次ぐ存在のスミスはメロディアスでハーモニックなスタイルを築きあげたが、独自性からか、影響をあたえたのはエリントンやベイシーあたりにとどまり、ジョンソンにはおよばなかった。ジョンソンを出発点にしたなかから頭角を現し、スウィング・スタイルを創造したのがファッツ・ウォーラーだ。
注:ハーレム・スタイルとも呼ばれる。右手はシングル・トーンでメロディー・ラインを弾き、左手は伴奏をつける。ストライドとは、1拍目でルート、3拍目でドミナント、2拍目と4拍目でコードを弾く際の、左手の「またぐ」ような規則的な動きを指している。
●ファッツ・ウォーラー(1904‐1943)
八面六臂のマルチ・タレント
ウォーラーはピアニストで、ジャズ史上初のオルガニストで、ヴォーカリストで、数百曲にのぼる歌曲の作者という、いわゆるマルチ・タレントだった。さらに、巨体(ファッツ)を揺らして道化を演じるエンターテイナーでもあった。とはいうものの、ジャズ史における功績ということでは、ピアニストとしてのそれを筆頭におくべきかと思う。ジョンソン伝来のストライド・ピアノを発展させ、ハード・ドライヴィングでメロディアスなオーケストラ・スタイルを確立した。それはテイタムに継承され、さらなる発展を遂げる。
ハーレムで伝道師の家庭に生まれ、6歳でピアノを始めた。16歳のときにコンテストでジョンソンの《キャロライナ・シャウト》を弾いて優勝し、それが縁でジョンソンの弟子になる。18歳のときには師の代理でクラブに出演するほど腕をあげていた。19歳のときには師の口ぎきでピアノ・ロール(注)を作り始める。これらに聴く初期のウォーラーはジョンソン直系だ。一方で個性も聴いてとれる。ジョンソンをうわまわるスウィング感、いや躍動感があるのだ。ウォーラーはこうした資質を伸ばし、新しい技法も創造していく。
スウィング・スタイルの開祖
20年代の後半、ウォーラーは脱ストライドの兆しを見せる。ホット・ジャズからスウィングへの移行期、洗練化の表れにほかなるまい。27年8月のピアノ・ロール《ノーバディ・バット・マイ・ベイビー》での多彩な左手は、ストライド・ピアノの規則的な動きと一線を画するものだ。このあとも緩やかに洗練化が進み、30年代の半ばには、ミディアム以下のテンポで脱ストライドは達成されている。控え目な左手とアルペジオをまじえた華麗な右手のコンビネーションはスウィング・スタイルそのもので、テイタムをも思わせる。
ウォーラーの躍動的でスケールの大きいオーケストラ・スタイルは多くのピアニストのモデルになった。スウィング派ではエリントン、弟子のベイシー(オルガンもウォーラー直系だ)、最高の継承者となったテイタムをあげておこう。モダン派ではジャッキー・バイアード、白人のデイヴ・ブルーベックに影が窺える。程度の差はあるが、ウォーラーの影響をうけたピアニストは例外なく次項でふれるアール・ハインズの影響もうけた。ウォーラー・スタイルとハインズ・スタイルを折衷し、独自のものを模索していったわけだ。
注:自動演奏ピアノ用の、いわばプログラムだ。ロール(巻紙)状になっていて、明けられた穴(幅方向は鍵盤の位置、巻き方向は時間軸)を空気圧などで読みとり、ピアノのハンマーを動かす。録音が本格化したあとも、ジャズに限らず多くのピアニストが残した。
●アール・ハインズ(1903‐1983)
ジャズ・ピアノのファーザ
ジャズ・ピアノの父と呼ばれるのは、ジョンソンはもとより、ウォーラーでもない。アール・ハインズだ。父が訛ったファーザをつけて、アール“ファーザ”ハインズとも尊称される。のちにジャズ・ピアノの主流になるホーン(管楽器)・スタイルを創造し、ピアノを他の楽器と渡り合えるアドリブ楽器に高め、後進に大きな影響をあたえたからだ。右手の強力なシングル・トーンによる奏法は「トランペット・スタイル」とも呼ばれた。ハインズは否定したが、ルイ・アームストロングをモデルにしたとされる。どうだろうか。
ペンシルバニア州ドクェズンに生まれ、9歳でコルネットを始め、まもなくピアノに替える。ピッツバーグに移り、トリオで演奏したあと、ロイス・デュッペ(男性シンガー)の伴奏者を経て、23年にシカゴに出た。サミー・スチュワート楽団、アースキン・テイト楽団で名をあげ、26年にルイとの交流が始まる。初録音は27年4月、ルイも参加したジョニー・ドッズ(クラリネット)のセッションだ。右手は出来あがっている! 左手も、出自がストライド・ピアノであることを明かしているが、それほど規則的な動きではない。
出自不詳の本質モダニスト
やはりルイも参加した5月のキャロル・ディッカーソン楽団の《シカゴ・ブレークダウン》では、ハインズそのもののスタイルを確立している。ルイと知り合ってからわずかな期間に、これほど革新的な奏法を創造できるものだろうか。ルイ・モデル説が疑問に思えてくるが、テディ・ウェザフォード(ピアノ)説を裏付ける確証もない。27年の暮れから28年の秋まではジミー・ヌーン(クラリネット)と組んでクラブに出演、その間にルイの後期ホット・ファイヴで歴史的な名演を残し、年末には自楽団を持ち、名声を確立する。
ハインズの創造性は、終生衰えなかった。どの時代の演奏を聴いても、モダンさに驚かされる。先日、某所でエリントンの講演をもったが、65年6月のハインズとの競演をかけることはできなかった。モダン派と見紛う演奏の前には、エリントンですらかすんだのだ。影響をうけたスウィング派は数知れない。直系のメアリー・ルー・ウィリアムス、テディ・ウィルソンをあげておこう。モダン・スウィング派ではナット・コール、白人のジョージ・シアリングがいる。モダン派ではジャズ・ピアノの革命児バド・パウエルがいる。
●アート・テイタム(1909‐1956)
全能のジャズ・ピアニスト
アート・テイタムが登場した頃、黒人にクラシックへの扉は閉ざされていた。テイタムが「クラシックをやっていたら傑出した巨匠になっていただろう」とは、その演奏にブッ飛ばされた巨匠ウラジミール・ホロヴィッツの言葉だ。圧倒的な技巧と高い音楽性に裏打ちされたピアニズムは神業というほかはなく、ピアニスティックな美しさに満ちていた。ピアノの全ての機能をひきだし、過去のジャズ・ピアノの成果をとりこみ、ハーモニック・インプロヴィゼーションに先駆けるなど、まさしく全能のジャズ・ピアニストだった。
オハイオ州トレドに生まれる。左目は見えず右目の視力は25%、全盲も同然だった。13歳でヴァイオリンを手にし、まもなくピアノに替える。20年代の半ばに地元でプロ入り、昼は放送局、夜はクラブで演奏していた。32年、アデライデ・ホール(女性シンガー)の伴奏者としてニューヨークに進出、かたわら出演していたオニックス・クラブでの演奏が評判を呼ぶ。初録音は32年8月、ソロ・ピアノによる《タイガー・ラグ》だ。ソロとは思えない超絶かつ多彩な技巧に圧倒される。天才の天才たる所以で、早くも完成度は高い。
本質はソロ・アーティスト
33年8月には一連のソロ・レコーディングが始まるが、スタイルは出来あがっている。テイタムは「私のスタイルは完全にファッツ・ウォーラーに発している」と語っているが、「完全に」に目を奪われて「発している」を見落としてはならない。ウォーラーは出発点なのだ。ときに見せる鋭いアタックにはハインズの影響が見られる。また、クラシックで鍛えたアルペジオなどの技法を導入し、そのスタイルを特徴づけた。30年代の半ばに顕著になるミディアム・テンポでの洗練された感覚はテディとの交流がもたらしたものだ。
初期のジャズ・ピアニストがそうだったように、テイタムの本質はソロ・アーティストだった。全能の楽器、ピアノの機能をフルにひきだせた全能のピアニストは共演者を必要としなかったのだ。ソロによる録音はトリオやコンボによるものをはるかに上まわる。先祖帰りにも映るテイタムのオーケストラ・スタイルは主流にならず、バンドのなかで他の楽器と競い合うホーン・スタイルが主流になった。しかし、ピアニストの鑑というべきテイタムは多くのピアニストに影響をあたえた。パウエル以前では最大の存在ではないか。
スウィング派では互いに影響をあたえあったテディがいる。モダン・スウィング派ではエロール・ガーナー、オスカー・ピーターソン、フィニアス・ニューボーン、白人のシアリングがいる。モダン派ではスウィング末期に成人に達していた連中が多い。ハンク・ジョーンズ、デューク・ジョーダン、バイアード、パウエル、白人のレニー・トリスターノがいる。より若い世代になると、かえって枚挙に暇がなくなる。これは影響と見るより、ジャズ・ピアニストにとってテイタムは必修科目になったと見るべきではないかと思う。
●テディ・ウィルソン(1912‐1986)
一世を風靡したスタイリスト
時代の趨勢があったにせよ、テディ・ウィルソンなくしてホーン・スタイルがすんなりジャズ・ピアノの主流になりえたとは考えにくい。テディはハインズを出発点にして都会的で洗練されたスタイルを築きあげた。ハインズが田舎臭く野暮だというのではない。要はセンスの違いだ。生温いスタイルをイメージしてはいけない。右手はキビキビと明快で、左手は実に強力だった。影響力は多くのスウィング派、スタイル形成期のモダン派、さらにポピュラー界にもおよぶ。ジャズ界では希なことだが、まさに一世を風靡したのだ。
テキサス州オースティン生まれ。29年にデトロイトに出てローカル・バンドで、30年にシカゴに移ってルイ・アームストロング楽団(31年‐33年)などで演奏した。32年6月、ベニー・カーター楽団のセッションで初録音、ソロはとっていない。33年1月のルイのセッションでは2曲で短いパッセージが聴ける。ハインズ系だが、角張った鋭角性はない。10月、カーターのチョコレート・ダンディーズのセッションに参加し、注目された。アップ系はハインズ色が濃いが、ミディアム系の洗練された語り口は完成間近を実感させる。
テイタムとの交流で仕上がる
このあと、34年5月のソロ・ピアノ・セッションまで大きな変化はない。9月と10月のレッド・ノーヴォ(ザイロフォン)のセッションになると、アップ系の硬さが薄れ、完成の域に近づいている。テイタムとの交流がもたらしたと見ていいだろう。12月のカーター楽団のセッションに聴く闊達で流麗なタッチと軽やかなスウィング感は、テディその人にほかならない。35年7月、テディは歴史的なオール・スター・セッションをスタートさせ、その直後にベニー・グッドマン・グループに迎えられ、世界的な名声を獲得していく。
テイタムの影響をうけたピアニストはほぼ例外なくテディの影響もうけたが、度合いと範囲はテイタムのおよぶところではなかった。決定的だったといっていいだろう。スウィング派ではビリー・カイル、エディ・ヘイウッド、白人のジェス・ステイシー、ジョー・ブシュキン、ジョニー・ガルニエリが代表格だ。スウィング末期にデビューしたモダン派ではセロニアス・モンク、ハンク、パウエル、白人のシアリングがいる。ハード・バップ派では「モダン・テディ・ウィルソン」と呼ばれたレイ・ブライアントをあげておこう。
●参考音源
[The Prehistory of Jazz Piano]
Blues and Stomps from Rare Piano Rolls/Jelly Roll Morton (24.9-26.10 Biograph)
Carolina Shout/James P. Johnson (17.5-25.6 Biograph)
Willie "The Lion" Smith 1925-1937 (25.11-37.9 Classics)
[Fats Waller]
The Complete Recorded Works Volume 1 (22.10-28.6 JSP)
Classic Jazz from Rare Piano Rolls/Fats Waller (23.3-27.11 Biograph)
Fats Waller (29.8-42.7 Bluebird)
[Earl Hines]
The Complete Hot Five and Hot Seven Recordings/Louis Armstrong (27.4-28.12 SME)
Apex Blues/Jimmie Noone & Earl Hines (28.5-8 Decca)
The Earl Hines Collection, 1928-40 (28.12-40.2 Collector's Classics)
[Art Tatum]
Masters of Jazz Vol.1/Earl Hines + Art Tatum (32.8-46.1 Storyville)
Classic Early Solos/Art Tatum (34.8-37.11 GRP)
Here's Art Tatum (37.2-44.5 Decca)
[Teddy Wilson]
The Complete RCA Victor Recordings/Louis Armstrong (33.1 BMG)
Benny Carter and his Orchestra 1933-1936 (33.10 & 34.12 Classics)
Red Norvo featuring Mildred Bailey (34.9-10 Portrait)