「戦後、江口隆哉(たかや)・宮操子(みやみさこ)夫妻のモダンダンスの公演を見たときに、私は大きな衝撃を受けました。ご夫妻は戦前にドイツに留学し、日本にモダンダンスを普及させた方々として有名ですが、私もおふたりの内面の深さを表現する肉体のすごさに言葉をなくしたことをよく覚えています。ああ、人間の肉体はこんなに美しく愛や喜びや悲しみを表現できるものなのか、と」

 そして入学した東京の大学で菊池さんは江口隆哉さんのダンスの授業を必死で受けた。大学卒業後は東京都内の中学校の体育の教師になり、30歳で退職。第2子を授かったタイミングだ。

「その頃はまだ子どものいる女性が外で働き続けられる時代ではなかったのです。でもあるとき、同じ団地の女性たちに、体操を教えてほしいと声をかけられて」

 昭和40年代初頭のことだ。

「主婦が集まって何かしている、などということも“不良”と揶揄されるような時代でした。でも『いつまでも素敵で美しくありたい』という女性たちの気持ちは痛いほどわかったので、私は団地の奥さんたち向けに体操教室を始めたのです」

 場所は団地の集会所。“不良”の集まりと目立ってはいけないので、窓のカーテンを全部閉め、薄暗い室内でひっそりと。菊池さんは独学で、学生時代に学んだ解剖学の勉強も再開。そして女性たちにこう呼びかけるようになった。

「筋肉を動かすことは、骨をつくることにもつながっているの。骨の骨髄の中では血液がつくられているの。からだは単に動かせばいいんじゃない。からだを動かすということは、あなたがあなたの『いのち』を育むことになるのよ」

 きくち体操はそのコンセプトと共に口コミで全国に広がり50年以上の月日がたった。が、菊池さんの元にはいまも、教えを請う生徒が後を絶たない。そんな菊池さんの今後の目標とは?

「目標なんて、ないです」

 えっ? ないのですか?

「私は遠い目標よりも、日々を大切に何事もなく生きることのほうが大事なんです。いのちは今日突然終わることもありますもの。その覚悟はいつも持っていなくては。死ぬときもできるだけ、ひとに迷惑かけて死にたくないの。だから家はできればきれいにして外出したいと思っています。ささいなことかもしれませんけれど、年をとってみたら無意識のうちに常にこういったことを心がけているようになりました」

 菊池さんの人生は、どこまでもそのイズム(主義)に貫かれているのである。

週刊朝日  2020年1月17日号

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