ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「沢尻エリカ」を取り上げる。
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「クスリをやっていそうな人がクスリで捕まる」とか「胡散臭そうな人が詐欺で捕まる」とか、これってもはやサービス精神の賜物なんじゃないかと思う今日この頃。沢尻エリカさんに対する「やっぱりね」は、ある意味「待ってました!」と同じ文脈に位置します。そして世間は思いのほか、この手の「ベタ」が好きです。敷居の高い芸術性なんかより、記号的な王道を何度も「なぞり書き」してくれる方が、断然お茶の間的には分かり易いから。
いつの時代も「ガス抜き要素」は不可欠ではありますが、最近の「正義」「常識」「健全」「道徳」の無理強いとも言える妙な風潮に対するストレスを正当化する役割としても、エリカ様逮捕は、「待ってました!」感が強かった。それにしても彼女のベタさは分かり易い。まさに教科書通りです。真新しさや奥行きの欠片もないので、観ている人の想像力に訴えかけない。まるで現在のJ‐POPのように、答えや注釈がすべて表面に書いてあるような退屈さに満ちています。同じ系譜の「ベタ」でも、横山やすしさんや羽賀研二さんなどには、しみじみ噛み締めたくなるような味わいと不親切さがありました。だからこそ世間は彼らを愛した。沢尻さんのことは「好き」だけど、まだ愛せてはいない。そこが大きな違いです。
ならば沢尻エリカが「愛される」には何が必要なのか。まず彼女に絶対的に不足しているのがオリジナリティです。歴代の「不良」を片っ端から寄せ集めている律儀さとマメさは、今のご時世において大したものだと思います。自分の中にある「女優像」や「悪女像」といった理想や幻想に対して、彼女はとてもよく努力している。「女優とは奔放で破天荒で激情的であるべし」。そんな理想像を実に的確かつキャッチーに体現しているのは、「別に」騒動の頃から認めるところではあります。しかし、いかんせんその様式美が薄っぺらい。大概、女装は「その手の女」に独特な食いつきを見せるものなのですが、エリカ様に対してはみんな面白がり期待し続けてはいるものの、それ以上の食指が動かないでいるのも事実です。既視感というか、沸き立つものを感じないというか、ドラマや映画を観過ぎたせいでこんな風になってしまった女装をもってしても「この子、ドラマの観過ぎなんじゃない?」と言いたくなるような甘さと浅さが拭えない。