ずっと心残りだった役に、信頼する演出家とともにまた挑めることに、白石さんの女優としての運の強さのようなものを感じてしまうが、「他にもこういう、役との運命的な再会はあるんですか?」と訊ねると、「そうね、ないことはないわね」とニッコリと微笑んだ。

「『身毒丸(しんとくまる)』というお芝居にも、不思議な縁を感じました。まだ私が10代だった頃、歌舞伎の『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』という演目を初めて観たときのことです。自分の義理の息子に恋をしてしまう女のお話なのですが、すごく言葉が素敵で、舞台を観ながら体内の血がカッと滾(たぎ)ってくるのを感じました。ずっとその物語に惹かれていて、20代半ばで早稲田小劇場という劇団に入って間もなく、勉強会でその演目をやってみたけれど、手も足も出なかった。狂気やら激しさやら、いろんな側面のある女なんだけど、そういうものは、いっぺんには出せないことを痛感したんです。感情だけで何かを作り上げようとしてもダメなこと、自分がどんなに憧れても、決して手に入らないものがあるとわかって、ずっとその大好きな作品のことは諦めていたんですが、二十何年か後に、蜷川さんから、『摂州合邦辻』の元になった『俊徳丸』のお話を寺山(修司)さんが戯曲化した『身毒丸』のお話を頂くんです」

 背中を、興奮と緊張が入り交じったような、ゾクゾクした痺れが走った。過去の失敗もあり、最初は、できるかどうか不安だったが、いざ演出を受けてみると、蜷川さんは、場面場面で、白石さんの内に湧き上がる様々な感情を自然に導き、舞台上で開放してくれた。

「蜷川さんが、『この感情を出すのはこの場面』『別の感情はまた違う場面』と、それぞれの感情を表現する場面の枠組みを作ってくださって。そのお陰で、私の感情の激しさは手放さなくてもよくなったんです。場面に応じて自分を変えていって、一つずつ感情をあらわにしていくことができた。一人の女の中にいろんな感情があるのを表現するのが、生涯の私の課題だなと思っていたんだけれど、枠組みさえ作ってもらえれば、追いつくことができるんだってわかったのはラッキーでした」

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