ジャーナリストの田原総一朗氏は、日韓関係が泥沼化した原因について持論を展開する。
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日本政府は韓国を「ホワイト国」から除外することを決めて、8月28日から実行した。そして、22日には韓国が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定していて、日韓はいわば断絶状態となった。
こんな状態になったことを日本国民の多くは、韓国の文在寅政権が日本を露骨に敵視して、無理難題をぶつけてきたために、怒らざるを得なかったと捉えている。いや、報復措置ではなく、韓国がずさんな行為を公然と繰り返しているので、輸出国として取らざるを得なかったのだと、日本政府は説明している。
だが、文政権の行動の根元は、経済悪化による、失業率の上昇にある。それによって支持率の低下に歯止めがかからず、打ち出したのが「徴用工問題」だった。要は、韓国人の被害者感情を刺激しようとしたのだ。
これは、朴槿恵前大統領が行ってきた政策の否定である。支持率回復のために、前政権の政策を否定し、逆の政策を打ち出すのは、どこの国の首脳もする常套手段だ。米国がTPPを否定し、イランの核合意から離脱したのも、トランプ大統領がオバマ前大統領の政策をことごとく否定し、逆の政策を実施したためだ。
文政権は最初に、朴政権が日本政府と結んだ慰安婦問題の合意について、「こうした合意を韓国国民は支持していない」などとして慰安婦像を新たに建てた。しかし、それでも支持率は上がらなかったから「徴用工問題」にも踏み込んだのだ。
繰り返し記すが、根元は韓国の経済が悪化して、失業率が上昇したことなのである。
ここで、あえて記しておきたい。
日本政府は、韓国は何かと言うと日韓併合時代の韓国国民の被害を強調するが、こうした問題は1965年の「日韓基本条約」で決着がついているはずだ、と捉えているようだ。
だが、これは「正確」ではない。当時、韓国は国力が弱く、貧しく、日本に頼らざるを得なかった。韓国が独立国として自信を持ち、日本と初めて政治的に関係改善を図ったのは、98年の小渕首相と金大中大統領による「日韓共同宣言」である。