まだ浩宮と呼ばれていた昭和の時代。徳仁新天皇は、1983年から2年間、英オックスフォード大学で寮生活を送っている。令和の新天皇は、歴史上で初めて留学経験を持つ天皇でもあるわけだ。
留学生活を終えて帰国を前にした記者会見で、日本に帰りたいと思ったことは、という質問に、
「一度もありませんでした」
と、きっぱりと答えている。
四半世紀の歳月を経て、徳仁皇太子が口にした「神田川」のエピソードからは、公式の会見とは違う表情も見えてくる。徳仁新天皇について、「昔から感情をあらわにすることは、ほとんどなかった」と同級生は口をそろえるが、青年であった浩宮時代の、「孤独」な心のひだが垣間見えるような、一場面である。
天皇や皇族方は、ふだんから好みについて、口にすることはあまりない。それでも、大場さんの手に触れることで、緊張がほどけていたのだろう。
「愛子がね、相撲が好きで、力士の名前をすべて覚えているのです」
うれしそうに笑顔で話をしたことがある。ご家族への深い愛情が伝わる言葉だった。
「殿下へのご調髪は、緊張のなかにも、次のご用命の日を楽しみにしたくなる。どこか、温かな時間でした」(大場さん)
映画についても、楽しそうな表情で語った。13年に徳仁皇太子は、「水と災害に関する特別会合」で講演をするために、米ニューヨークを訪れた。その飛行機で、「007」の映画を見たと語り、続けた。
「見たことありますか? いいですよね、私は、あの映画が大好きです」
留学時代に、「007」のシリーズは、ほとんど鑑賞したという。
■黒澤と「007」すべてご覧に
あるときは、黒澤明監督の映画の話で盛り上がった。徳仁皇太子は、「黒澤作品」もほぼ見終えていたが「生きる」はまだ見ていない、と口にした。
志村喬演ずる、日々の生活に無気力な役所の市民課長が、がんで余命がないと知り、生きる意味を見いだしてゆく、というストーリー。死の直前、主人公が、雪の舞う夜の公園のブランコに腰かけ、<いのち短し恋せよ乙女……>と口ずさむシーンは、見る者の胸を打つ名作だ。