SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「信仰心」。
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パニック障害という精神病にかかったことがあると以前書いたが、この病気、鬱病の近縁種だそうで、発作が収まるとだんだん鬱状態に移行していく。大センセイの場合、激しい発作の後、約二年もの長きにわたって鬱状態が続いた。
鬱って、すごいな。大センセイ、鬱状態を人に説明するときには、決まってこんなたとえを使う。
「下りのジェットコースターに一日じゅう乗り続けている感じ」
そう、鬱状態になると自分の足元にぽっかりと暗い穴が開いて、その穴の中を永遠に落下し続けているような気分になるのだ。いや、気持ちがそうなるだけではない。体の感覚もそうなってしまうんである。
あれは、ツライ。ものすごく辛いけれど、傍から見れば体は健康そのものだから、辛さをわかってもらえない。それがまた、辛い。
大センセイ、あの病気だけには二度となりたくないと思うんである。
鬱病時代、大センセイが通っていた心療内科は、一風変わったところだった。診察室がすごく散らかっていて、トイレも汚かった。その分というかなんというか診察時間が長く、しかしその大半が雑談みたいなものなので、こんなことで病気が治るのかと毎度思うのだが、二週間ぐらい経つとどうしても話を聞いて欲しくなってしまうのだった。
医師はI先生といった。I先生はクリスチャンで毎週日曜日に教会に通っており、大センセイにも教会に通うことを勧めてきた。
「礼拝堂は夜間も必ずドアを開けてあるから、いつでも祈りに行けますよ」
I先生がそんなことを言うので、試しに真夜中の礼拝堂に行ってみると本当にドアが開いていた。
ステンドグラスを通して月の光が差し込む青白い礼拝堂の中でマリア像の足元に跪いて、
「どうか、この苦しみから救ってください」