ご公務やご静養地の様子を写真に収める皇室の追っかけ。雅子さまの追っかけは年配の主婦が多いとか。一様に「あの笑顔に癒やされる」と話し、人生の活力になっているという。シャッターチャンスをうかがって長時間外で待つこともあるが、失礼にならないように離れたところから見守るのが基本だ。追っかけ主婦たちの活動の実態に迫った。
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「雅子さまは最近、東宮御所の正門から出入りしています。体調がすぐれなかった時期は、私たちが待っている門とは別の門からお出になっていた」
追っかけを26年間続ける、神奈川県の白滝富美子さん(78)は、写真を撮ることを通して見た雅子さまの変化をこう話す。最近は表情が明るくなってきたという。
雅子さまの出入りを待って、白滝さんは半蔵門で長時間も待つこともある。
「上皇さまや美智子さまに会いにいくときは、皇居の半蔵門から入っていきます。以前は、皇居の半蔵門の門の中の敷地に私たちを入れてくれていたんですが、オウム真理教の地下鉄サリン事件から、警備が厳しくなった。最近は門の前の舗道で最前列が4人と決められています。後から来た人は2列目以降となります。私は最前列を取るために、3時間前から並んでいます」(白滝さん)
新年一般参賀と天皇誕生日一般参賀では、場所確保のために前日から並ぶという。
「真夜中から並びます。ホテルに宿泊して2日がかりですよ。いい場所が取れないので」(同)
白滝さんが追っかけの世界に足を踏み入れたのは、1993年1月の両陛下の婚約発表がきっかけ。当時、たくさんの一般人が、雅子さまのご実家の小和田邸前に”見物”に集まった。
「私も友達と一緒に見に行きました。その友達は、その一回きりでしたが、私は、病みつきになって小和田邸へ毎日通った。そのうち、東宮御所の門へも行って、雅子さまがお出かけする様子をカメラに収めるようになりました」(同)
最初はズームもない1万円のコンパクトカメラで撮影した。ご静養地の葉山(神奈川県)、那須(栃木県)、下田(静岡県)と方々へ出かけるうち、1年間のうち半分が雅子さまを追いかける日々になり、レンズが取り換えできるカメラに買い替えた。
「雅子さまは最初、車の中から手を振るしぐさもぎこちなく、写真を撮ると、手のひらが口元にかかっていることが多かった。だんだんと慣れて、今はそういうことはなくなりましたね」(同)
主婦・吉田比佐さんは、雅子さまと陛下の1993年6月のご成婚から26年間追い続けている。当時は20代だったが、現在は50代。
「やさしいチャーミングな笑顔を見るだけで、嫌なこともすべて忘れちゃいます」(吉田さん)
追っかけの活動に家族の理解は得られているのだろうか。吉田さんは94年5月に会社員の夫と結婚した。
「私が追っかけをしているのを知っていて結婚したので、主人は何も言いません。わりと自由に好きなように出してもらっています。夕方のお出かけの時は、お酒のおつまみだけ用意して出かけますよ」(同)
追っかけ主婦たちの間では、雅子さまのファッションも注目の的だという。
「葉山の海岸で雅子さまが着ていた、赤と白の縦ストライプのシャツがあまりにもかわいかったので、同じものを探したんですよ。同じものではないけれども、渋谷でそっくりのシャツをみつけたので買いました」(吉田さん)