それゆえ、講じる対策はいずれも中途半端に終わり、責任を回避するための言い訳以上の効果をあげてはいない。
政府の規制を容認することは大きく踏み込んだようにも見えるが、自らは「裁定者」ではないという姿勢に変化は見られない。
ザッカーバーグ氏は、「フェイスブックだけで発言内容に重大な判断を下すべきでない」と従来の考えを繰り返している。「規制当局が禁止される投稿の基準を定めるべきだ」とも主張しており、これまで同社が負ってきた責任を、各国政府や規制当局に押しつけているようにもとれる。
初期のフェイスブックを支えた投資家で、現在は批判の急先鋒(きゅうせんぽう)に立つロジャー・マクナミー氏は、これらの主張を「不誠実だ」と批判。ザッカーバーグ氏がダメージコントロールのために規制議論を誘導しようとしていると警告する。
度重なる不祥事とそれに対する不十分な対応で、同社に対する目は厳しくなるばかりだ。状況を打開できないイライラがこのような無責任な発言として表面化したのだろう。同社に対する厳しい批判は今後も続きそうだ。
※週刊朝日 2019年4月19日号