なぜ、私はこの制度を利用して大きく後悔したのか。第一に、大きな費用が発生するからだ。
子が親の成年後見人になろうと思っても、必ずしもなれるとは限らない。家庭裁判所の判断で、司法書士などの専門家が選ばれるケースもあるからだ。子が選ばれても、子をサポートする成年後見監督人がつくケースもある。
こうした家裁の判断を、「ノー」と断ることはできない。専門家が後見人や後見監督人になった場合、当然ながら報酬が発生する。私は自ら成年後見人になれたものの、司法書士が監督人に就き、報酬を払うことになった。その額は実に年24万円だ。
「監督人がつくとわかった時点で、やめればよかったのでは?」
そんな声も聞こえてきそうだが、それは無理なのだ。この制度を使う際は家庭裁判所の担当者と面談し、「利用します」とその場で署名する必要がある。一方で、面談の時点ではだれが成年後見人に選ばれるかわからない。通知が後日届き、初めて知ることになる。
つまり、だれが成年後見人になるかわからない状態で、利用を決めないといけない。私の面談時、成年後見監督人などがつくことは手渡された確認書に書かれていたが、詳しく説明されなかった。
この制度では、親のお金の利用も大きく制限される。例えば、私は父から毎年110万円の暦年贈与を受けることを話し合っていたが、できなくなった。また、家族で外食に行って、父から「俺がおごるよ」と言われても、父の口座のお金を使うことは許されなかった。
成年後見制度の基本理念の一つは、本人の意思を生かす自己決定権の尊重。父の「俺がおごるよ」の言葉は彼の本心だと今も確信する。しかし、裁判所は「認知症の人は正常に判断できない」と考え、認めない。当事者の私からみれば、裁判所は制度の基本理念を無視しているとさえ思える。
母の死の際も、父は「俺はいらない」と言ったが、相続放棄が認められず、法定相続に従うよう指示された。なお、専門家が成年後見人に選ばれると、親の預貯金はすべて彼らが管理する。親のお金が必要な場合、いちいちお伺いを立て、認めてもらう必要が生じる。