「恋は、いつ始まるのだろうか」と冒頭の一文から印象的な『牧水の恋』は、明治生まれの歌人、若山牧水の大恋愛を追った評伝だ。美しい人だったという相手の女性、小枝子には夫と2人の子供がいた。牧水はそれを知らないまま、心を奪われていく。そんな恋の顛末を俵万智さんはスリリングに描き出す。
「牧水に、しつこいなと、いやがられてるかな、と思いながら書いていました」
高校生の頃から牧水の歌に親しんでいた俵さんは、2006年に若山牧水賞を受賞し、牧水がより身近になった。彼と小枝子は房総半島の根本海岸を旅して結ばれるのだが、実はこのとき、後に三角関係になる彼女の従弟が同行していた。
「牧水の恋はどうなっていたのか、もつれ具合を詳しく知りたいというワイドショー的な興味からスタートしました」
評伝を書く際には、資料を発掘し、関係者に取材することが多いが、俵さんは牧水の残した歌から人物像に迫った。短歌は心から生まれるもの。そのとき何を思ったか、どう感じたか、どんな資料よりも本人の心に近づけるという。
「とくに牧水は自分の心に正直に歌を詠む人なので、恋にのたうち回る一人の男性の姿が、はっきり手に取るように見えてきました。生々しい牧水を感じる経験でした」
出会いのときめき、結ばれる前のモヤモヤ、喜び、嫉妬まで、牧水は様々な感情を味わい、どんどん歌を作った。俵さんは自らの経験に照らして、「やみくもに詠むなかに、神様がくれるようなこんな一首が生まれる」と言う。
白鳥は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよふ
「白鳥は哀しくないのだろうか。海の青色にも空の青色にも染まることなく漂っている……」のように、歌に平易な解説をつけ、「恋は心と体のどちらから始まるか」を論じるなど、「根は大阪人」という俵さんのサービス精神がそこここに発揮されている。
執筆の途中で気づいたのは、自身が牧水の影響を受けていることだった。
「知らないうちに牧水から栄養をもらっていたことに、びっくりしました。そして牧水も自分も万葉集の影響を受けている。つながるのも短歌の面白さです」
次の2首も、小枝子との恋があったから生まれた。
幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
いい気分で酒を飲んでいるときに詠んだのかと思ったら、恋の悩みから体を壊すような飲み方をして、身も心もズタズタになったときに作った歌だという。
「どれだけの体験が張り付いているかで歌の出来ばえは変わってきます。牧水はさんざんな目にあったけど、小枝子に会わなかったら名歌の数々は生まれなかった。いい歌は背景を知ると、より輝いて見える。それがまさに牧水の歌だと思います」
(仲宇佐ゆり)
※週刊朝日 2018年11月16日号