私たちの世代にとって、戦争の記憶はとても大きいですね。僕には15歳上の兄がいました。昭和20年の3月に出征し、当時の満州に送られて8月15日の終戦後に戦死しました。

 兄は4歳だった僕に字を教えてくれました。当時住んでいた国鉄の官舎の廊下の結露したガラス窓に、「これがア、これがイ」って書いてね。戦地の兄にたどたどしい字ではがきを送ったら、返事が来ました。検閲があるから「早く兵隊さんになって敵の飛行機を落としてください」なんて勇ましいことが書いてあった。今でも僕の宝物です。

 東京大空襲で、東の空が赤く染まっている光景は、今でも忘れられません。隣組で大人たちが、竹槍でわら人形を突きさす訓練をやっていたのも、よく覚えてます。子ども心に「くだらないことやってるな」と感じていました。

 当時、満蒙開拓青少年義勇軍という10代の青少年を満州の開拓民として送り出す制度があって、20年ほど前、生き残った人たちの集まりに呼ばれたんです。そのときに資料をたくさんお預かりして、いつか本にしてほしいと頼まれている。少しずつ読み込んでいますが、まずはそれをテーマにした小説を書きたい。

『黄色い牙』のときのように、じっくり取り組んで、一行一行に気持ちをしっかり込めた骨太の作品にするつもりです。そういう作品を書きあげるまでは、死んでも死に切れません。

(聞き手/石原壮一郎)

週刊朝日  2018年10月19日号