中学時代をウィンブルドン周辺で過ごし、伊達公子さんのデビューやマイケル・チャンの全仏優勝を目の当たりにした私は、「ついにテニス界のセンターコートにもアジア系が食い込んでいける時代が来た!」と発奮し、自らも女子プロテニスプレーヤーとして89年にプロデビューすることを決意。以来、世界中を転戦する日々を送る中、割かし早い段階から頭角を現し、90年には初めてウィンブルドンの決勝に進み(ナブラチロワに敗れる)、その後2000年の引退までの11年間で、ウィンブルドン2勝・全仏1勝・全米1勝という輝かしくも非常に図々しい成績を残しました。しかしそんな私とは裏腹に、2011年に中国の李娜(リー・ナ)が全仏で初優勝を果たすまで、アジア系テニス界の行く手は前述通り決して甘いものではありませんでした。私がこんなに何度もグランドスラムを制することができたのは、『起こり得ない夢』をひたすら妄想の中で叶え続けていたからに他なりません。
現実世界では妄想のやり過ぎで社会不適合者となり、25歳で『新宿2丁目の女装』としてプロデビューという結果に流れ着いた私。でもその時、周りの女装仲間たちもみんな似たような妄想人生を生きていたことを知り驚いたものです。マツコさんなんて、ほぼ私と同時期に女子プロテニス界を牽引し、私が唯一勝てなかった全豪オープンを2度も制していたというではありませんか。さらには女子フィギュアスケート選手としてもリレハンメルとソルトレイクシティ五輪に出場していたとか。
女装たちの妄想は、言うならば『日本人の夢』です。大坂なおみ選手のグランドスラム制覇によって、ようやく私たちも本当の意味での『引退』ができます(荒川静香さんがトリノ五輪で金メダルを獲った時もマツコさんは「これでやっと引退できる」と泣いていた)。ちなみに私は日本人初のグラミー賞(最優秀レコード賞)歌手でもあります。あと、英国王室にも嫁いでいます。
※週刊朝日 2018年10月5日号
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