医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。6日に死刑が執行された、「麻原四女の“許嫁”」遠藤誠一死刑囚と、「側近中の側近」と呼ばれた井上嘉浩死刑囚。地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、オウム真理教を徹底取材。麻原の操り人形として破滅へと堕ちていった彼らの、封印されたプロファイルをひもとく――。
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■細菌兵器研究した 麻原四女の“許嫁”
<遠藤誠一(えんどう・せいいち)>
(1)生年月日:1960年6月5日
(2)最終学歴:京大大学院医学研究科博士課程中退
(3)ホーリーネーム:ジーヴァカ
(4)役職:第1厚生省大臣
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):正悟師
ボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造でも中心的役割を果たした。麻原の四女の“許嫁”としても知られる。
北海道出身で、学生時代はおしなべて「まじめ」「いい人」といった評判だった。獣医を志し、帯広畜産大学獣医学科に入学。しかし、徐々に遺伝子工学やウイルスの研究に傾倒していき、進学した京大大学院では、エイズウイルスの遺伝子解析などを行った。
この頃に麻原の著書を読んで興味を持ち、1987年3月に入信する。麻原のDNAを研究するように言われ、実験室も与えられた。
麻原は自分の血液を採取させ、リンパ球の培養とDNAの増殖に成功すると、「京都大学医学部で検査した結果、DNAに秘密があることが判明し、これを飲むことは効果がある」
などと教団が出版する書籍に掲載させた。
教団内の「世界記録達成部」でコーチも務めていた。この部は「大きなマラソン大会でオウム真理教のユニホームを着てトップを走り続ければ、2時間以上にわたってテレビに映る」という宣伝効果を狙って結成され、菊地直子容疑者も在籍していた。