16歳で入信すると、すぐに麻原に目をかけられ、「新通並びなき者」「超能力者」と評された。地下鉄サリン事件当時は弱冠25歳にして諜報省の大臣。麻原に寵愛された「側近中の側近」だった。

 中学まではサッカー好きの活発な少年で、高校は京都市内の進学校へ進んだ。両親の期待は大きかったが、同級生も親も気づかないうちにオウム真理教に出会い、高校2年のときに入信した。

「先祖の因縁があって、おれは絶対がんになる。因縁を断ち切らなあかん」

 同級生にはそう語っていたという。学校でも授業中は座禅を組み、休み時間には瞑想していた。仙人に関する本や『ノストラダムスの大予言』をむさぼるように読み、「仙人」とあだ名されたという。

 高校3年のとき、教団機関誌に井上の「空中浮揚」の写真が掲載された。友人はいぶかって、

「ウソちゃうか。本当に浮いたんか」

 とただしたが、井上は「ほんまや」と答えて笑った。

 両親の説得に加え、麻原が「大学に行きなさい」と諭したことで、いったんは大学に進学したが、半年もたたずに退学して出家した。当初は心配していた母も、後に入信している。

 修行熱心で知られ、息をとめて水中に潜る「水中クンバカ」や、一度に十数リットルの水を飲んでは吐くといって、修行の中でも肉体的苦痛の大きな荒行を積極的にこなした。教団の宣伝用のビラをまく枚数もケタ外れに多く、熱心な修行や活動ぶりは、信徒の間で語り草になっていたという。後の裁判では、自負してこう語っている。

「自分のことを言うのはなんだが、それなりに能力が高かった。それ(信徒獲得やお布施)に関連する、その側面で麻原に重宝されていた。(成績は)ダントツに並ぶ一つです」

 その一方で、オウムの教義では「破戒」(戒律を破ること)になる女性との関係は派手だったようだ。50人ほどの女性信徒が、他の幹部に井上との関係について相談していたといわれる。麻原は、そうした状況を事実上黙認していた。

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「屈折した心があった」